大昔の、そのまた大昔の話です。
肢体不自由特別支援学校にいた頃。
研修にかかる費用で「県の肢体不自由特別支援学校の担当者会を立ちあげたのも私です」と書いたけれども経緯を残しておきます。
私は肢体不自由特別支援学校でこんなことをしていました。
肢体不自由教育への機器利用のほんの一部 写真はこんなの。
足で
インテリキーを使ってパソコンを操作する。
本体はMacLC。本体は私の私物。
横にゲーム用の大型ジョイスティックも見えてます。
あっインテリキーもジョイスティックも私物だな。
1スイッチでパソコンを操作し気持ちを表現する。
本体はMacClassicII。これも本体は私の私物。
「にこにこマーク」「しかめっつらマーク」「多いマーク」「少ないマーク」が組み合わせで順番に出てくるようにしてあります。
う〜ん、私物が多いですね。まず持ち込んで実績を作って予算を獲得しよう、という戦術をとっていたもんで。
別にMacばかり使っていたわけじゃありません。私は「あるものは何でも使う」という考えでした。PC98やMSXも使っていました。もちろんキーボードが使える場合はキーボードで、そうでない場合は入力装置をつけて。(TownnsやDOS/Vは購入できて無かった)
肢体不自由児本人に表現してもらうことに力を入れていましたが、「学習援助」もしていました。
ハード・ソフトこみのシステムとして当時としては肢体不自由特別支援学校の中で相当進んでいた部類に入ると思います。私のオリジナルのものなんてありません。全てはリハビリ工学カンファレンスやネットで教えてもらったことです。
私は、物も情報もあるのに、それが肢体不自由特別支援学校の中まで届いていないことに危機感を覚えていました。校内では「
過去の記事83(理解して下さる人を増やしていくこと)」のように理解して下さる人が増えて来ました。研修でも「教具・教材グループ」(非常に珍しく学部横断のグループになっていた)や「意思伝達グループ」のチーフをして広めていきました。しかし他の肢体不自由特別支援学校にはなかなか情報が行っていない。(物は入ってきつつあった)で、こちらから情報を流したい。もちろん他校からも学びたい。そこでこんなことをしました。
私の学校で県の肢体不自由特別支援学校の「自立活動」(学習指導要領に規定されたカテゴリー。Wikipediaを見ると今でもあるようですね。要するに障害に適切に対応していこうという活動。以前は「養護・訓練」と呼ばれていたけれど、その言葉が不適当ということで改訂された。正式な公布はまだでしたが運用で先取りしていました)の担当者会議が開かれました。この担当者に選ばれているのは、それぞれの学校で熱心に、かつ中心となって障害に対処していこうという先生方と考えて間違いありません。私はもちろん担当者ではありません(笑)
そこで会議が終わるのを会議室の前で待っていて、終わった瞬間に入っていきました。
で、みなさんに向かって「私の学校ではいろいろとパソコン利用をしています。パソコン室でデモンストレーションしますので、是非見に来て欲しい」とお願いしました。
実は担当者のほとんどは動作法(動作訓練という名から、当時は心理リハビリテーションという呼び方の方が広がって来ていたかな)の1週間キャンプで同じ釜の飯を食った仲間たちでした。それもあって数名(だったと思う)の方が見に来てくれました。
パソコン室は、奥はおもちゃを改造したり入力装置を自作する工房になっており、手前には入力装置をつないだパソコンがずらりと並んでいました。(まだ自治体や国からの補助は無く、私物持ち込みや校内予算を取って来て整備したもの)そこでソフトも立ちあげデモンストレーション(プレゼンと言った方がいいかな?)をしました。
みなさん相当びっくりして下さったようです。
来て下さった中に、ある肢体不自由特別支援学校の校長先生がいました。その先生が「これは連絡会を作らないといけない」とおっしゃり、即作りあげてしまいました。校長先生の力ってすごいですね。
ま、こんなふうだったわけです。これじゃあ
「県の肢体不自由特別支援学校の担当者会を立ちあげたのも私です」って言ったらいけないか・・・
「東京の地下鉄東西線を作ったのは私です」って言うようなもんか(笑)私は確かに「日雇い」で「工事」には行ったのですが・・・
まあ、大昔の大昔の話です。
posted by kingstone at 14:56|
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特別支援教育や関わり方など
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