私の関わりのある法人
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※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2010年04月26日

あのね♪を購入した方

 あのね♪を購入した方です。

携帯会話補助

 文字入力で若干苦労されてるようですが、お子さんの

「さんほしんしや・・・」

で即、散歩に行かれてます。

「得する体験」応用行動分析で言えば「即時強化」

ええですね(^-^)



posted by kingstone at 21:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私の大失敗

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。


 F君は、自閉症かどうかはわかりません。
 人なつっこくて「一緒に遊ぼう」とでも言うように相手を見て首を
かしげたり、「一緒に読んで」とでも言うように本を持ってきたり
します。

 また音楽が大好きです。しかし友だちと音楽の趣味が合わなくて
喧嘩になったりするので、ヘッドホンで音楽を聞くことをやってみたり
しました。落ち着いている時は静かに聞いています。

 で、昨年度の3学期、コミュニケーション練習に使えないかと、
ドレミファドーナツの絵を描いたカードを教師に渡したら
ヘッドホンステレオを聞かせてもらえる、というのをやってみたら
かなりできました。

 ところが、新年度になって教室が変わったり、運動会の練習が
あったりしたせいか、ヘッドホンはたて続けに3つ壊されるは、
(全部自腹・・・アセ)カードを使うことがはっきりしなくなるは、
という状態になりました。また私自身「カードはまだ早く、実物
レベルじゃないかなあ」という思いもありました。

 で、この実践自然消滅みたいになってました。そしたら2学期の
始業式の日、教室で全然別のところにいた私にF君はにこにこしながら
ドレミファドーナツのカードをわざわざ渡しに来たのです。

 よし、っと思い、またカードで要求を伝える、というのを復活
させることにしました。そしてすぐにカセット・ガラガラ・ペットボトル
と数を増やしても、ちゃんと使い分けて渡してくれるようになりました。

 また、トイレに行く時に写真を示したりしてたら、ある日、にこにこ
しながらトイレの写真を持って来てくれました。行ってみると成功。

 また授業では、スケジュールなどはわからないと思っていたのですが、
スケジュールボードに貼ったどんぐりを手に取り、ペットボトルにどんぐり
入れをする机まで行き、自分でイスを引いて座る(ちょっとびっくり
するようなことです)なんてこともありました。

 後、掃除機を教室の入り口に置いています。掃除機のスイッチを入れる
のは好きです。(たぶん音と振動の出るのが嬉しいのだと思いますが)
そこで、掃除機を出し、コードを出し、コンセントに入れ、スイッチを
入れ、スイッチを切り、コンセントから抜き、コードをしまい、片づける
という一連の動作を教えるとコンセントを入れるところ以外は介助なしで
やることができるようになりました。

 そこで「スケジュールがわかって待てる」「スケジュールに従って行動
できる」ということを目指そうとしました。
−−−−−−−−−−−−−−−
 そこで教室の入り口にスケジュールボードを作りました。
 そして朝、教室に入って来たら、

 「着替え」
 「掃除」(掃除機で・・・まあスイッチを入れてすぐにおしまい)
 「遊び」
 「教室の朝の会」
 「体育館へ」

 という流れが写真カードでわかるようにしました。
 そして彼の色のカードをトランジションカードとして、そのカードを
もらうとスケジュールボードのところへ行き、次の予定の写真カードを
取る、というふうにしようとしました。

 12月16日がスタートでした。

 「着替え」はまあまあ。
 
 次「掃除」のところで、彼は掃除機で遊ぶのは好きなのですが、「遊び」
を先にしたかったみたい。そこで、ボードを指し示しながら、後で「遊び」
があるから、ということを伝え、彼の手を取り、腰を引いて逃げようとする
お尻を押したりもし、いつもと違って(いつもはコンセントを入れるところ
だけの介助でほぼok)かなり手を取り、やらせました。

 それが終わったら、後の「遊び」や「朝の会」は、トランジションカード
の使い方はわかってませんが、次のカードを手渡せば次が何か理解する、
というのはできてたようです。

 翌17日。

 ちょっと機嫌悪そうではありましたが、同じようにやりました。

 翌18日。

 バスから降りるなり、大粒の涙を流しながらなにごとかを訴えます。
 もちろんスケジュールもくそも無い・・・・
 彼はついに半日泣き続けていました。
 彼のできてたことも、できないことがいっぱい・・・

 ああ、無理なことをやり過ぎたな、と思いました。
 (注・泣くことそれ自体は別にいいと思っていますが、どういう状況で
    何故泣いたか、によってこちらもあれこれ考えないといけない)

 それこそ「無理な訓練」になっていたようです。
 他のところかも傍証がいろいろあがって来ました。

 その日のうちにスケジュールボードははずしました。


 もちろん、その日のうちからもですが、翌日からは、特にまあ朝来て
すぐの着替えはさせるとして、その後、いかにF君の笑顔を出させるか、
に腐心しています。

 でも終業式までなかなかからっと気持ち良くとはいきませんでした。


 私は結構この手の失敗をします。

 3学期になってF君の笑顔も戻りました。

 でスケジュールなどの指導を意図的にすることをあきらめたか、と言うと・・
全然そんなことはなくて、授業の場面に限って、授業の流れをどうしたら
わかってもらえるか、を考え具体物をより取り入れたりしながら、いろいろ
働きかけをしています。
−−−−−−−−−−−−−−−
 またみなさんレス(コメント)つけて下さいね。

 特に○○さん。
 こないだふられたんだから、今回は指名してもいいっしょ(笑)

 まあだいたいわかりますけど。

 > 次「掃除」のところで、彼は掃除機で遊ぶのは好きなのですが、「遊び」
>を先にしたかったみたい。そこで、ボードを指し示しながら、後で「遊び」
>があるから、ということを伝え、彼の手を取り、腰を引いて逃げようとする
>お尻を押したりもし、いつもと違って(いつもはコンセントを入れるところ
>だけの介助でほぼok)かなり手を取り、やらせました。

「この時点でこれはTEACCHではありません」(笑)
 あと、アセスメントがどうだったかとか・・・アセスメントが無いから
TEACCHでは無い??

 上に書いたようなことがインフォーマルなアセスメントになるかな、
とは思っていたですが。
−−−−−−−−−−−−−−−
 ○○さん、こんにちは。
 無理矢理レスつけさせてすいません。

 >まあ,そうかもしれないです.お尻を押す前にスケジュールの提示の
 >方法とか順番とか,色々工夫したり,その時の子どもの状況に
 >あわせて(物理的ではなく)押したり引いたりしてみたいですね.

 物理的ではなく・・・
 ほんまですね。
 でもやっぱり手をひっぱったり、背を軽く押したり、というのは
よく使ってしまいます。うーーん、もっともっと減らしてみないと
いけないか。

 >学校のように比較的長期間指導できて,教師がアセスメントについて
 >理解していれば,アセスメントと指導というのは,そんなに区別しなくてもいいでし
 >ょう.指導とアセスメントが一体となっていると思います

 そうであるはずですよね。

 >大体PEPとかCARSとかは短時間で効率よく情報を集めるために
 >あるので,なきゃないで問題ないです.
 >私が教師ならどっちも要りません.

 あははなるほど。

 ちなみにF君とは、今普通の授業場面でスケジュールを提示する試みを
やっていて「机の上で勉強」する時に「どんぐり(本物)」を持って
勉強する机に行ったり、「コップ(本物)」を持っておやつを食べる机
に行ったりしてくれるようになりました。

 で、おやつの時もばっちりだけど、とりあえず「どんぐり」の時は
勉強の机に行ってくれてるなあ・・・

 今回は○○さんにレスを強要してしまいました。

 「セミナーに4回も行ったもんが何を今さら言ってんの」ってとこが
あるかもしれません。でもね、私、はっきり言ってセンスも能力も無い
って思っています。とにかくいろいろみなさんとやりとりしながら、
考えていかないと、とてもじゃないけど実践続けていけないんですよね。

 ほんま今後とも、みなさんよろしくお願いします。
−−−−−−−−−−−−−−−
追記
 TEACCH的な教育をやるならまずPEP、ということでもなさそう
です。もちろんありゃあ便利だろうけど。








posted by kingstone at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自立課題学習を他の先生にやって頂く

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。


 現在、我が学年はカードとカゴを使ったワークシステムに乗れる子ども
たちと、それが難しい子どもたちとに分かれて授業をしています。前者の
子どもたちはずっと私がいろいろやってきて教師1人対子ども5人でやって
いたこともあります。子どもたちが静かに自習しており、その合間に教師と
1対1で新しいことを勉強したりします。ある程度の形はできているわけ
ですね。

 後者の子どもたちのことも気になっていました。しかし、後者の子どもたち
に手厚い布陣をひくためにも、頑張ってた、というところもあります。

 まあいろいろ理解して頂きづらい中で、他の先生にも理解して頂くべく、
前者の子どもたちとの授業を、今年度1学期は私ともうひとりの先生と二
人組でやり、もうひとりの方は毎回変わる、という形でやっていきました。

 最初の頃はどうしてもみなさんの口から「前者の子どもの裏の授業は
どうしましょ」みたいな発言があったりして「違うでしょ」と常に言い
続けてきました。つまりみなさんは1対5の自立課題の学習が表で、他
の子の授業が裏、という感覚を持ってはったわけね。

 私も、私が考えていることは理解されず、kingstoneは後者の子どもと
の授業なんてやりたくないんだ、というふうに思われていたかもしれない。

 2学期からは「私は前者の子どもたちの授業はしない」と宣言しました。

 ありがたいことにお一人の先生が教材を工夫したり、部屋を前日に設定
したりして主体的に関わって下さるようになりました。

 この授業も二人組みでやってます。で、今日はその主体的にやって
下さるようになった先生は出張で、もうおひとりの先生だけになりました。
「私がやりましょか」と言おうと思ったけど、黙ってたら昨日お二人で
「じゃあ設定は一緒にやるから授業は一人で」と相談がまとまってました。

 1対3です。

 放課後「どう、できたでしょう」と尋ねると「ええできました」

 先日研修である先生から「パズルとかで勉強したいけど、あっちを
指導してたらこっちがガチャガチャやって授業にならない」という話が
ありました。すごく実力のある先生なんですが。とりあえず時間も
無かったのでその時は回答しなかったのです。

 その時の話を持ち出して「どう思う?できへんと思う?」とお尋ね
すると「すぐにはできないと思うけど、kingstoneさんのやって来た
ような形だったらできるでしょうね」という話になりました。

 で、そのあと、こもごも話していたのですが、その先生曰。

「実は2学期の後の方までKING STONEさんのカードを使って
 コミュニケーションをしたり、課題学習をしたり、というのに反発して
 いました。最近やっと、ああこんな授業もいいんだ、と思えてきました」

 ありがたいことと思います。

 そして、もともと思っていたけど、理解して頂くのはなかなかたいへん
ということですね。で、実体験で理解して頂くためには私が一見強引に
見えるような態度を取らなければならない・・・(他の授業でなく、
自立課題の授業を一定程度続けて頂かなくてはならないわけですから)

 ・・・たいへんです。

posted by kingstone at 20:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ラグビーに例えると

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。


 今日、地域の特別支援教育担当者の研修に出てきました。
 この研修は、今回の場合だと「ことば」の指導に興味を持っている
者、ほんの少数の集まりです。

 以前にも実践をうかがってちょっと紹介したかもしれない。
 ある特別支援学級の先生です。で、この先生が報告冊子用にまとめた
原稿を読ませて頂きました。嗚咽してしまいました。

 この先生、こどもにいろんなことが伝わらなくて、とても困って
はったのです。この先生の友達がいます。その友達がたまたま全情研で
TEACCHを知り、私の研究会を知り、この先生に伝えました。で、この先生、
勉強し、TEACCHの2日間セミナーにも参加されました。

 すべてがすごく変わられました。

ラグビーに例えると、私は過去、ボールを持ったまま前進もできず、
とにかく倒れまいと一人で必死に頑張っていた。(倒れるとボールを
離さないといけない)あ、現場での話ね。ここFEDHANでは、常に仲間
がいましたが。でも、ボールを奪われ、大きくけり出されたり、
展開されたり、私の方は全然ゲインラインを突破できないでいた。

    追記
      今、「超入門 ラグビーのみかた」を読んでます。
      で、このエントリを書いた頃、上記の状態も「モール」だと
      思っていたのですが、相手がたくさん、対して私1人の状況だと、
      「モール」じゃないそうです。
      少なくとも私(ボールキャリア)以外に敵味方が1人ずつ
      必要なそうで・・・
      なお、下記の状態は3人で組めていたので「モール」でいいな・・・


 それが、すごく遠くで一緒の向きに進んでくれる人ができたり、
昨年度などは望外なことになかなかいいモールが組めて少し前進
できたりした。

 今年はモールはつぶれてしまったけど、でもあれって思うところで、
結構展開している、そんな感じです。とりあえず私も過去はボールを
生かせず、突っ込んではつぶされている、という感じだったのですが、
ボールを生かしながらじりじり前進している。

 なんか良かったな、って思います。
 華麗なステップは切れないけれど、フォローを信じてサイド攻撃とか
してみたいな。


posted by kingstone at 20:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自閉症という言葉を本人の前で他人への説明として使うか

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。


 同僚と自閉症という言葉を本人の前で使うことがあるかどうかで議論
しました。

 私、実際に使っているし、使ってもいいんじゃ、という立場で話を
したのですが、議論で負けて(?)ごめんなさい、と謝ってしまいました。

 しかし何か釈然としない。で、考えてたんですが、私の友人で難聴の
人がいます。でその方と別の方と会った時、紹介する時に「この方は
難聴です」と本人の前でも紹介してしまいます。これっていけない
のかなあ・・・

 自閉症の方に???な対応をする方に「彼は自閉症なんです。
だからこうこうして下さい」とお願いすることあるんですけど・・・

 今日の議論でもやっぱり「それは相手を人間として見ていない」
と言われてしまった・・・

 まあ相手の方の言われる状況というのはよくわかるのですが。

 でもって思うのですが、つまり???な対応をする方がいなけりゃ、
別に全然言う必要は無いというのも事実。

 うーーん、例えば交流なんかに行った時、○君は自閉症です、
だからこうこういう方法で伝えればよくわかります、って本人の
いる所で言ったらやっぱりいけないのか・・・

 うーん、なんかよーわからんぞ。
−−−−−−−−−−−−−−−
 AAさん、こんにちは。

 ツリーのみなさん、こんにちは。

 BBさん、ありがとうございます。
 そうですね、BBさんの書いて下さったような場合、ありやと思いますね。
 
 AAさん、どうもです。

 うーーん、私の議論の相手の方のおっしゃることはよくわかるのです。
 どういう場面で自閉症という言葉を使っているのを聞いてはるかは
よくわかるのです。

 で、私自身、いろいろ考えてみてやっぱり手放しで「言っていい」という
言葉ではないなあ、できるなら使わずにすむ(周囲の人がちゃんどう対応
したらいいかわかっているなら)ほうがいいよな、とは思いました。

 でも、やっぱり私の周囲の状況を見ると、あえて非人間的と言われようが
使って説明していかなしゃーないかなあ、と思っています。なんせ特別支援教育
担当教師が自閉症と限らず特別支援教育について学習する時間は月0〜3時間で
すから・・・(圧倒的に0時間が多いかな)
−−−−−−−−−−−−−−−
 ツリーのみなさん、こんにちは。

 CCさん。

 ほんま、私もまとまりません。
 しかし、結構配慮は必要だよな、とは思い出しました。

DDさん。

 >繁忙期で通信したらいけん状況なのですが、あまりのことについ。

 あっ、すいません(と言いながら爆笑)

 > なんで負けるの?

 議論したからです。(笑)ある方がそういう場合は議論じゃなく、
とりあえず聞く、というレスを下さいました。本当だな、と思います。
その「使ってはいけない」という方、すごく暖かい心なんですよね。
それを受けとめてあげれば良かった。

 またこの方は学校を変えていこうという超人的な努力をされている
方です。ただしそれがうまくいっていないと思う・・・

 議論ではなく、自分でやって、変えていくしかないな、そう思い
ました。
−−−−−−−−−−−−−−−
EEさん、こんにちは。

 >素朴な疑問なんですけど、これって「自閉症」を「障害」に置き換えて
 >も通用する議論だったのですか?
 >それとも、「障害」はいいけど「自閉症」はだめという議論だったので
 >すか?

 うーーんっとね・・・
 その時出たのは「お前筋ジスの子の前で筋ジスって言葉使うんかあ」
と言われたのですが、私、使ってたから「使います」って言いました。

 って、そいつ(肢体不自由特別支援学校卒業生です)自身がばんばん
使うんだもん。

 でね、これって「ガン」の時に「ガン」って言うか。とかと同じかな、
と思いました。

 例えばお医者さんなら患者に告知する義務があるとは思うのですね。
 しかし友だちなら別に言う必要も無いわけで。ただ「こいつ疲れやすい
から無理させんようにお願いね」とか言う言い方もできるわな。

 自閉症の方だったら「この子は音声言語で理解することは苦手やから
目で見てわかるようにしてあげてね」と言えばいい、というのは本当かも
しれない。まあ周囲の??な対応を見てるとつい「自閉症の方はかくかく
だからしかじかしてね」と言いたくなってくるけど。

 ただ、この時の議論の相手は「自閉症」という言葉に対して「悪い」
イメージを持っているのは確かだと思いました。隠さなければいけないもの、
というような・・・。

 で私は最近「おお、君、自閉症だったのか。良かったね」という感覚にな
っているところがあって(だって、かなりいろいろ方針が立つんだもん)そ
れで余計に話がかみ合わないのかもしれない。
−−−−−−−−−−−−−−−
EEさん、こんにちは。

 うんうん、とうなづきながら読んでました。
 でも、私は、自分で「筋ジス」と言いまくる奴の前では私も気楽に
言えるけど、時にはやっぱり言わないでおこうとすることもある中途
半端なやつです。

 >ただ、××な方に対して「あなたはブスだ」とは言えんよなあ。
 >うーむ、線引きはやはり難しい……。(^o^)

 これはね、すでに最初から「価値観」こみだからじゃないですか。

 で「自閉症」には本来その言葉自身「良い」も「悪い」もなくて、
ある症候群に名前をつけただけのものであるはずで・・。

 でも、だから私の「おお、君は自閉症だったのか、良かったね」っ
というのも変かもしれない。








posted by kingstone at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

軍隊やICUは構造化されているという話

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。


○○さん、こんにちは。

 > 自閉症の世界でなく構造化そのものの世界的な職業があります。
 >「軍隊」です。軍隊では用語や命令は可能な限り統一されています。

 なるほど、なるほど。
 そして、軍隊だとその構造化の枠組みの中からはみ出すことを
許さないでしょうね。でないと危なくてしかたないから。

 そういや、□□さんもICUの中はすごく構造化されてる、って話を書
いて下さってましたね。これまたそうでないと危なくってしかたない。

 ただ自閉症児の教育に関しては、枠から自らはみ出すことはOKとして
認めていないと困ると思いますけど。
−−−−−−−−−−−−−−−
□□さん、ありがとうございます。

 >この規格は病院間で共通です。大病院に限りません。
 >学閥が違っても共通です(自慢にならんが京都では凄く大事なこと)。

 あはは。京都じゃなくったってでしょう。(笑)

 >けっこう医療スタッフって医者も看護婦も病院を渡り歩くので
 >病院のあいだの統一は大事なことです。
 >配属初日から人工呼吸器が組めないと困りますから。

 うーむ・・・学校でも大事なはずだなあ・・・

posted by kingstone at 20:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

余暇の過ごし方について

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。


 ○○さん、こんにちは。
 kingstoneです。

 今、私は長期の休みの時などに、子どもたちと遊べるボランティアグループが
できないかなあ、とあれこれ動いています。

 さてお家で、とのことですが、確か「自閉症の人たちの余暇活動」とか
いう冊子が朝日新聞厚生文化事業団から出ていて、その中で中山清司さん
が「続けるためにはコストの低いものを捜すのがいい」ということを書い
てはりました。コストってのはお金もだし労力もだし・・・

 例えば外に行ってプールに行く、とか映画館に行く、とかいうのも
もちろんいいのですが、毎日となるとちょっとしんどい。

 そこで、お家で、となるといわゆるお手伝い(家事労働・・・そういや
お手伝いと言うとsyunさんが怒り出すんだった(笑))なんかもいいかも、
とかいうのが書いてあったと思います。

 ・食器洗い
 ・料理
 ・洗濯
 ・洗濯ものたたみ
 ・そうじ

 あるいは料理と言わなくても1日のある時刻に○○さんのためにコーヒー
を入れてあげる。で、もちろん○○さんはおおいに感謝する・・・

 お子さんも○○さんも大満足。

 もちろん、お子さんに何が今できるか、をよく見て、それを組み合わせて
できることを考えないといけませんけど、△△ができないからこれはできない、
という発想ではなく、「□□をやってもらうために、あれこれを組み合わせる
とできるなあ」という発想だと結構いろいろ浮かんでくるものです。

 で、もちろん、「遊び」もいろいろレパートリーがあるといいですよね。
−−−−−−−−−−−−−−−
 ○○さん、こんにちは。

 >kingstoneさんありがとうございます。何か目からうろこという感じです。

 嬉しいです。
 でも、いざ「こんなこと」やってみようと思うと、あれれどうすりゃ
いいんだ、というところも出てくると思います。また書き込みはると
みなさん、いろいろ教えて下さると思いますよ。

 で、また「余暇」ってきりくちだけでもたくさんのことがあると
思います。せっかくのツリーが一問一答で切れたら寂しいし、
みなさんのいろんなレスがついたら嬉しいな。>ALL

 わたしゃ、今日はなんか疲れたので寝ますからよろしく。


 でも考えてみると、例えば(あくまでも例えば)ですけど、○○さんが
コーヒーを飲むなら、その時にはお子さんも好きな飲み物とお菓子があったら
いいよな、だったらそれを買いに行く、というのもひとつの余暇活動になるよ
な、とかいろいろ思いついて楽しくなりますね。(もちろんお子さんの実態に
合わせて考えていくわけですが)

 うーむ、こういうことを考えるのはなんて楽しいんだろう。

 >ちなみにお尋ねしますが、指導者の方ですか?保護者の方ですか?

 私は知的障害特別支援学校で教師をやってます。
 小学校2種という最低の免許しか持っていません。
 養護学校教諭の免許もなし。
 ネットワークおたくです。
−−−−−−−−−−−−−−−
 > ・食器洗い
 > ・料理

 今日は、月1回(アセ)の私が晩ごはんを作る日でした。
 (いや、もっと作らなくては、とは思っているのですが・・・)

 ということで長男(8歳)次男(5歳)と一緒に晩ごはんを
作りました。メニューは

 ・ごはん
 ・カキフライ
 ・白菜と薩摩揚げをたいたの(お汁代わり)
 ・ほうれんそうのおひたし

 米をとぐところから始まって、ほとんどの素材への具体的な活動は子ども
たちにしてもらいました。私はバットやボール等の道具や、小麦粉や調味料
などを用意したり、何をするかを指示したり。うちの子どもたちはたぶん
自閉症スペクトラムには入らない(?よくわかんないです)ので、視覚支援
は使わず音声言語で指示できるのが、かなり楽ではあります。ただ見本を示
すのはやはり必要です。

 まあ私一人でするより、時間がすごくかかるのと、場所や道具がたくさん
必要になる、ってことはあります。でまたマネージャーたる私が手順にしろ
使う道具にしろよくわかっていない(笑)というのも問題・・・

 でも時間がかかるということで言えば、2時間、後片づけも入れれば3時間
くらいの活動になったわけで。また子どもたちも仕事がとぎれると「はたらき
たい」と仕事を要求してくる(アセ。私が追いまくられた気分です)し、自分
たちなりにすごく達成感があったみたいです。

 長男なんか、食後の洗い物も「僕がする」と言ってきれいにしてしまい
ました。

 自閉症もそうでない子もいっしょ、とまず言ってくる方には、ちょっと
身構えるところもある私ですが、例えば余暇活動をまずは教えてあげる必要
があったり、周囲の人が喜んでくれる活動をやったらいい、ってのは自閉症
のお子さんでもそうでないお子さんでも一緒だろうな、と思いました。
−−−−−−−−−−−−−−−
 「はたらきたい」って気持ち、たぶんどの子も持っているんだろうな。



posted by kingstone at 19:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

構造化された教育(TEACCH的な教育?)を受けて大人になった方

 私がTEACCH的な教育に取り組んでいた頃は、周囲にそういう教育を
受けて大人になった自閉症の方はいませんでした。

 もう今はいらっしゃいますね。

自分で選ぶ、自分でする

 この方の場合は、学校教育の途中からTEACCH的な教育を受けられた、
と言っていいと思います。

 特別支援教育に携わる方、施設職員さん、保護者のみなさんに知ってほしい
なあ。

 月の輪学院やすみれ愛育館の人に知ってほしいなあ。

posted by kingstone at 18:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

HAPPY★セミナー・リターンズのお知らせ

こんなのがありました。

HAPPY★セミナー・リターンズのお知らせ

 この講師陣で一泊二日で38000円。
 どれだけ安いんか、という話ですな。


posted by kingstone at 15:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

川を渡る

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。

 本の紹介です。
 とても素敵な本です。中古品で88円から、ですね。


川を渡る―コミュニティと障害における考え方の革命の創造/デイヴィド・B. シュウォルツ

 慶応義塾大学出版会
 デイヴィッド・B・シュオルツ
 冨安芳和・根ケ山公子訳
 3400+税

 著者は日本で言えば社会福祉協議会を立て直しに入った、という
立場なのかな。ペンシルバニアでの話です。

 久里浜に内地留学をしていた同僚が紹介してくれました。

 昨日から読み始め、まだ3章までしか読んでません。でもそれで
十分に感動して、紹介したくなりました。著者は1章で非常に簡単に
歴史を概観します。

(引用開始)
 発達障害者たちを「収容施設から出そう」という運動は、反戦運動
と同様に、当時主流であった社会的文化的信念と実践に反対する運動
でした。それは魂を死なせてしまうような悪しき収容施設、かって
バートン・ブラットが1966年に「煉獄のクリスマス」の中で暴露した
ような、多くの人たちが幽閉されていた施設に反対する活動でした。
それは改革運動でした。
(中略)
 あの息あがっていたときは、今はまぎれもない過去となりました。
彼らが一致団結して作り上げた新しい場と新しい「別の」コミュニティ
システムは、一見したところ、処理しにくい問題に満ちています。経済、
虐待、職員の募集と確保に関する特別専門委員会が緊急に開かれて
います。改善のための行動は提案されていますが、それでもこのような
行動の表面下には、私たちの大切な新しい場の挫折があまりにも急速に
進み、私たちの努力がその2倍であったとしても十分でなく、また無駄
でさえあったという気持ちが残ります。
(引用終了)

 で、彼はあれこれいろいろ努力するわけです。でうまくいくことも
あって、この本を書いたわけでしょうが

(引用開始)
 最後に、私が述べようとしている考え方の変化は障害者たちの状況に
ついての新しい「解決」とされてしまう危険についても、十分に考え
ねばなりませんでした。ここに提示された考えを新しい万能薬として
見る人がいるかも知れません。その人たちはそれは単に歴史的過程の
最新の展開であって、今までにあったたくさんの万能薬のすべてが
そうであったように、崩壊、堕落、失敗に曝されるということに気づいて
いないのです。
(引用終了)

 うーーん、ようわかってはる人やなあ、と思いました。

 で、第2・3章はシュオルツさんのもと(?)で働いてはる人が実際に
障害を持った人がコミュニティに参加しながら暮らしていけるように、
またその生活が擁護されるように、と活動した報告になっています。

 で、実は息子を医者に連れて行ってここを読んでて、涙が止まらなく
なり、その時、受け付けで呼ばれて、涙を流しながら支払いをして、
めちゃかっこ悪かった(笑)

 シャロンさんが書いているところです。彼女(彼?)は、アルバートと
いう人が参加できるようにフランクにお願いします。少し引用すると

(引用開始)
 アルバートは、60歳代前半のちょっとずんぐりした男性で、それまでの
人生の大部分をナーシングホームで過ごしていました。アルバートは大きな
声で話したり笑ったりする、すばらしく人好きのする男です。
(中略)
 アルバートの持つ障害は脳性マヒと精神遅滞を含みます。
(中略)
 フランクは町のたくさんの失業者のための地元の無料食料配給所で週1回
手伝う仕事をアルバートのために手配しました。
(中略)
 アルバートの仕事は、家族連れがはいって来たとき、切符を手渡すことです。
切符には番号が打ってあります。しかしアルバートは番号が分からないので、
番号の順番を整えておく方法を考えなければなりませんでした。アルバートが、
食料配給所で仕事を始めてから、彼が自分の役割を遂行できるようないくつか
のシステムが試みられました。フランクともう一人の人が、配給所が暇なとき、
アルバートが数字の勉強をするのを手伝い始めました。アルバートはだいぶ数字
がわかるようになったとフランクが教えてくれました。おかしなことに10年
通った特別通所プログラムの授業ではこういうことは起こらなかったのです。
(中略)
 毎週、食料配給所では誰かがアルバートに名札のバッジをつけたらどうだと
言うと、彼はたくさんの袋の一つを取り出し、ハンカチの包みを何枚も何枚も
ほどき、大切なバッジを取り出します。これは社会サービスの仲間内では矯正
すべき「施設的行動」として知られています。この食料配給所では単に
アルバートの儀式として理解されています。儀式といったのはアルバートが
このグループの一員であることを誇りに思っているという意味だ、とここの
職員の一人が話してくれました。この儀式のことで何か不都合なことなど何一つ
なかったのです。
(中略)
 すべてが必ずしも完全ではないということを理解することが大切です。
アルバートが食料配給所に行きだして数か月後に、問題が起きたとフランク
から電話があったときのことを思い出します。アルバートがトイレに間に
合わず失禁してしまったというのです。私の反応は恐怖と不安のそれでした。
彼はもう来なくていいと言われるのではないか、という不安。私はフランクの
機先を制したつもりで、誰かアルバートの代わりができるはずだし、そう
すべきだ、と言いました。フランクは驚きました。私は彼に「とんでもない!」
と言われました。アルバートは彼らの一員でした。彼らは問題を解決したかった
だけだったのです。結局、アルバートの介助者が食料配給所に来て、トイレに
行くのを手伝うような配慮がなされました。フランクも手が空いている時は
手伝ってくれます。
(中略)
 時にはアルバートが切符を混ぜてしまって、間違いの切符を渡すこともあった
ようです。この問題は棒刺し台を作り、その棒に切符を突き刺しておくことで
解決しました。アルバートは一番上の切符を取ればいいだけです。
(引用終了)

 シャロンさんはアルバートとフランクを結びつけるような活動をされて
いるわけですが、しかしそれまでの「組織」の活動の枠にはまらない活動
であり、組織との間ですごく違和感を感じ、自分自身を常軌を逸している
のではないかと感じ始めます。

 そこらへんが特に私の琴線に触れるのかもしれません。

 またこんなことも書いてはるなあ・・・

(引用開始)
 私は幸運であったとも言えます。なぜなら私の上司はいつも話に耳を
傾けてくれ、彼にとってどんなに面倒なことを呼び起こそうとも、私が
とても重要なことを申し出ようとしているのだと言ってくれました。
(引用終了)

 なかなか言えまへんで・・・こうあってほしいし、自分もこうありたい
ですね。
−−−−−−−−−−−−−−−
 つけたしです。

 私は1章から3章までを読んだ段階で紹介しました。
 この2章3章は事例報告的なところですごくわかりやすいところでした。
(しかし、訳は・・・あんましわかりやすいとは言えないか・・)

 それ以降はヒューマンサービス(必要のある人を支援する事業ということで
いいかな)について豊富な事例や先人の言葉をひきながらあれこれ考えて
いきはります。

 この方はうーーん、言葉にしちゃうと「コミュニティ感が大事」って
ことを言ってるんだと思います。しかし現実ってやつは一筋縄ではいかない
から、あれこれあれこれ語ることになる。それが私など、おおいに納得
できる書き方になっています。結構辛辣な、しかしユーモラスな叙述が
あり笑いながら読みました。

 いろいろ紹介したい部分は、fedhansの9番会議室でやろうと思います。
(ここは紹介の部屋でたぶんやりとりの部屋では無いから)

 その中でどんなことが書かれているか興味のある人のために少しだけ
引用してみます。

(引用開始)
 コミュニティサービスの中で発生するさまざまな問題は、もしひっくるめて検討されるなら、この分野の仕事における変化のより広範囲のプロセスの前兆として浮かびあがります。これらの問題は、私の経験では基本的な5領域に分けられるようです。

1 虐待、放置、向精神薬の投与
2 「職員の確保と募集」の危機
3 サービスを受ける人たちの孤立
4 この分野での臨床システム化の増大
5 システムに遺贈している人たちに対するシステムそれ自体の効果の遅延化
(引用終了)

(引用開始)
 新しい考え方の初期の熱狂の中では、それが絶対に間違いない解決策と
受け取られる危険が常にあります。これが必然的に重大な誤りを犯すことに
なります。
(中略)
実行にあたっての主要な障害は、基本的に4タイプあるように思えます。
それらは、専門性のとりこになる、コミュニティという考えを美化する、
反専門家主義に走る、政治の道具とされる−この4つです。どのような試み
でも、良い意図だけでは成功を確約するには十分ではありません。
(引用終了)

 ってなことがあれこれ考えられているわけです。
−−−−−−−−−−−−−−−
 ちょっとやりとりできたらとも思うので、こっちでも紹介します。
 重複部分はできるだけ少ないようにしたいと思っています。

 題名の「川を渡る」(Crossing The River)というのは
行政(専門的なシステム)という此岸からコミュニティという彼岸に
渡る、というところから題名がつけられています。

 著者自身、ペンシルベニア発達障害企画協議会という此岸にいる方で、
(今は別に転身されたよう)そしてコミュニティという畑を耕そうとして
いる方なわけで、第12章で

(引用開始)
 私は、川の向こう岸、コミュニティという岸に関して働いてきましたし、
書いてもきました。しかし私の仕事は向こう岸ではなくこちら側の川岸、
官僚制の岸で行われています。そのコントラストはとても大きくて、
居心地の悪いことも多いのですが、しかしこうした内容豊かなジレンマ
からは、さまざまなことを学ぶことができます。
(引用終了)

 なんて書いてはります。
−−−−−−−−−−−−−−−
第2章・市民参加

 うーむ、どこを紹介しようか、と考えると全文引用してしまいそうで・・
悩んでしまいます。


 シャロン・グレッツは1979年から重度障害者のためのヒューマンサービス
の仕事に就いています。で、収容施設から出た人たちが長年ある町で暮らして
来たけれど、全然コミュニティとは関わりないところで生活していた。そこで
その人たちがコミュニティに参加できるように(これが市民参加ということに
なるのかな?)したいと思って町長のソフィ(美容師でもある)のところに
お願いに行きます。

(引用開始)
 フランクとソフィとの出会い、そして二人と時を過ごしたことが、ヒューマン
サービスに働く者としてのみならず、人間として、予期せぬ仕方で私を感じ
やすくさせました。二人は、最初私が彼らを変えようと思ったようには私を
変えようなどとは考えないで、つつましい方法で私に教えてくれました。最初
自分では気づいていなかったのですが、私は指導者として、また教育者として、
あるいはこの二人とこのコミュニティに「コミュニティでの統合」のやり方を
教える権威者のつもりでここに来たのでした。私が人々の身体面でのできない
ことについて一生懸命話している間に、二人の頭の中にはもう、その人々が
できることが浮かんでいたのです。
(中略)
 最初私は心配でした。と言うのは、ソフィもフランクも私が使う専門用語
とか言い回しを知らなかったからです。「ソーシャルロールバロリゼーション
(Social Role Valorization)」「目標計画」「サービスの単位」などは彼ら
には何の意味もありません。私の職場の誰かが、自分たちのしてほしいことを
この二人が本当にする資格があるのか、と私に尋ねました。長い時間、私は
このことを考えて苦しみました。結局、二人の「専門的」資格は問題ではない
ことが、私自身に分かってきたのです。私がこの結論に達したのは、私の心が
私にそう語ってくれたからだとしか言いようがありません。コミュニティ生活
に人々を招き入れることはもうとっくに二人の生活の情熱となっていました。
人々を喜んで迎え入れ、懐深く抱き入れる彼らの力を見せてくれていました。
私は二人がどんな用語を知っているかなどもう心配していませんでした。
そしてあのデリカテッセン(簡易食堂)に二人とコーヒーを飲みながら話す
ために出掛ける時は、もう書類入れを持って行かなくなりました。
(引用終了)

 そしてfedhansの2番会議室#377で紹介した、アルバートやたくさんの例が
紹介されています。

 ここらへんはボランティアグループを立ち上げようとしている私に、
いろんなことを考えさせてくれます。

 またシャロンさんは市民参加の活動を始めて、今までの組織・機関から
ずれて来る自分を感じ、苦しみ「常軌を逸している」と感じ始めます。で
苦しまれるわけです。このあたりは学校現場で「常軌を逸している」と
感じる私を思い起こさせます。そして

(引用開始)
そこで協議会とコモンウエルス研究所は、私をこの州や郡の人で、自分
たちが思っているように物事を考えるのは少なからず常軌を逸している
のではないかと自問している人たちとを結びつけました。私は接触し
始めました。このネットワークは私の命綱になりました。
(引用終了)

 いろんな人の顔が思い浮かびます。
 そして私にとってもネットワークは命綱です。

 最後のほうでこう書いてはります。

(引用開始)
 私はこれまでずっと私の仕事の手引書があればと願ってきましたが、今は
そういうものが出版されないよう望んでいます。あたかも何か
−危険に曝された種−を護る必要があるように感じています。
お分かりですね。
(引用終了)

 よくわかります。
 もちろん、そうであって、そうでない、わけですが。
−−−−−−−−−−−−−−−
8章新しい考え方の革命

 紹介もあちこちとんでしまいます。

 著者はコミュニティの重要性ということを繰り返し述べています。
(しかし手放しで賞賛するわけではありません。また紹介するかも
しれませんが、もともとコミュニティは虐待の場でもあった、という
ようなこともちゃんと述べられています)

 で第8章ですが、冒頭にこんなエピソードが紹介されています。

(引用開始)
 ノーラ・エレン・グロースが、奇妙な歴史的事実と思われるものに偶然
出会ったのは、1978年マーサーズヴィンヤード島を訪れているときのこと
でした。つい最近までの2世紀近くの間、異常なほど多くの聾者がその島で
生まれ、生活していたのです。彼女がついに見つけた原因は、その孤立した
コミュニティに限られた、遺伝的に伝わる一種の聾でした。しかしこの興味
深い事実とは別に、現実にはとても信じられないようなとこを発見しました。
それは、その島では聾が特に注目に価するは誰もが考えていないことは明白だ
ということでした。実際誰も聾を障害と捉えてはいませんでした。しかし、
聴こえない、あるいは話せない人たちが、他の人とまったく同じように、
どうやって働き、「聴こえる」夫や妻と結婚し子どもを育てることができる
のか、彼女は友人に不思議がって話しました。友人は、ああそれはね、その
ころはみんな手話で話したから、と答えました。身内の人とか友だちとかが
通訳したというの?いいえ、誰もかも、と彼は答えました。そこから、
グロースは彼女の著書「みんなが手話で話した島」(Groce,1978)を書く
きっかけになる調査を開始しました。
 年老いたこの島の住人はこんなふうに回想しています。
「みんなで輪になって座り、郵便が来るのを待ちながらおしゃべりばかり
していたなあ。聾の人たちもいたよ。みんなそこにいたよ。あの人たちは、
人だかりの一部だったし、みんなから受け入れられていたね。あの人たちは、
漁師だったり、農夫だったり、他にもいろいろ、何でもやっていたね。あの
人たちはみんなと同じようにニュースを知りたがっていてね。みなんよく話
をしたけれど、みんなが話についていけるよう、いつも身ぶりをつけて話して
たね。話せる人より聾の人が多いときは、もちろん全員が手話で話すんだ。
まあそれが礼儀だろうね」
(引用終了)

 なるほど。そしてまた、この島には聾者のための専門的サービスは無く、
しかし専門的サービスのある他の地域の聾者の方が苦しい生活を強いられて
いたことが書かれています。

 またこんな記述もありました。

(引用開始)
 マーサーズヴィンヤード島に前に住んでいた聾者や、今日アルバータ州
ラクリートのメノー派教徒の農場−ここでも遺伝的条件が原因でトゥレット
症候群という特定の障害が高率で発生し、しかも同様に受け入れられている
のですが(Sacks,1988)−に住む人の状況について、何がそんなにも重要
なのでしょうか?これら2つの場の中の人々の経験と、ある種の「意図的
コミュニティ」に住んでいる人たち、あるいは、住んでいる社会的環境に
深い帰属感を抱いて暮らしている幸運な人たちに共通するものは何で
しょうか?このような状況と、レベルの高い援助に囲まれながらも孤立と
孤独を感じている多くの人たちを分けるものは、何なのでしょうか?
(引用終了)
−−−−−−−−−−−−−−−
第10章

 ここでは、「社会の中で何が障害者の安全を本当に護るのか」について
述べています。

(引用開始)
 ジェローム・ミラーは、マサチューセッツ州の少年院を閉鎖したことで有名
ですが、彼が、どうしてこれらの施設の改善ではなく、閉鎖を決めることに
なったかを話したことがあります。もともと彼は施設の改善だけを考えて、
マサチューセッツに赴任しました。第一段階として、彼がハーバード大学で
見つけ出せるもっとも優秀で社会運動に関わった60年代の活動家を2,3人
雇用しました。「2か月たってみると」、と彼は驚きと共に思い起こして
いました。「全員がファシストでした」
 もし微生物的隠喩が当てはまるなら「環境の中の何が、このハーバードの
活動家たちの内で休眠状態にあった虐待の衝動の発現を促進したのか?」
という問いかけは可能でしょう。もう一つ、多分もっと重要な質問と思われる
のは「(さまざまな心理学的研究によってはっきりと示されているように)
虐待の性向をわれわれすべてが内包するなら、なぜ、今までよりも、もっと
頻繁に虐待が起こらないのか?」というものです。デュボスは微生物学での
問題は単に「微生物がどのように病気を引き起こすか?」ではなく、むしろ
「なぜすべての微生物が病気を引き起こすとは限らないのか?」であると
述べています。
(引用終了)

 そして、障害のある人も安全に護られているコミュニティの例としてキャンプヒル(の考え方に基づく村)を考察します。その「安全に護られる」要因をいくつかあげています。

(引用開始)
1. 宗教的信仰を共有するシステム。これによって、障害者も含めすべての
  人が、能力あるいは生産性の見かけ上の違いに関係なく、固有の同等の
  価値をもつと信じられる共通の世界観に導く。

2. 結果的に、名前、肩書き、生活状況、着ているもの、経済的地位、特権
  などによって、障害をもたない人からもつ人たちを区別しようとしない。

3. たいていのこと(仕事、料理、旅行、礼拝)を障害のない人たちが障害
  をもつ人たちと一緒に行う。

4. その成員すべてにコミュニティ内部の、また少しだが外部の、多くの人
  たちとの広範囲にわたる自由に与えられる無報酬の関係が存在する。

5. 障害者である成員たちは、コミュニティのメンバーの「責任」者的役割
  (寮父、農夫、あるいは理事長のような)については明白に認識している
  が、「権力」者的役割をもつ人(施設長、ボス、ケースマネージャーの
  ような)としての認識が比較的乏しい。

6. 自分たちがユートピア的コミュニティであるという考え方は否定して
  いる。

7. 障害のある成員たちにとって、否定的になりやすい出来事について
  個々人の小さな例を、文化的な対人関係の手段を通して改めようとする。
  たとえば、難しい内容でもじっくり話をしたり(「それは私たちがここで
  物事を進めるやり方ではない」)集会やグループ討論を行って、理解を
  深めていくようにする。

8. コミュニティの成員全員の私的成長の重要性に価値を置いている。

9. 証明書発行のような公式の防護処置がはいり込んでくることは、
  キャンプヒルの生活を印象的なものにしている文化的な価値やプロセスを
  浸食すると信じている。
(引用終了)

 ううむ・・・この要因を私の周囲に見つけ出すのは大変やなあ・・・
 しかしまあ何とかしないといけないわけで、シュオルツさんは
「共同生活防護事業」という活動を始めはります。

 で、その中で評価する方法を考えます。質問の形をとりますが、
そこから見えるものがありそうです。

(引用開始)
・その人(弱い立場にある人)には住んでいる家の外に無償の関係を
 もっている人がいますか?

・その人は何かコミュニティのグループや集まりに所属していますか?

・近隣や町の人で、何人くらいがその人を知っていますか?何か間違い
 があればそれに気づき、行動を起こしてくれる人はどのくらいいますか?

・誰がその人の金銭管理を補佐していますか?

・その人と、同居している人たちとの暮らしの条件は同じですか?
(引用終了)

 今日は1月17日ですが、前三つは仮設住宅での暮らしなどでも、
有効な問いですね。

 またこの部分などを読んでて、子どもの指導の時に「生活地図」を
書いてみて、それを生かそう、というのも思い出していました。あの
「生活地図」ってTEACCHにあるアイデア??

 私は「個別教育計画の理念と実践」の中で見ましたが。
−−−−−−−−−−−−−−−
構造化(「川を渡る」より)

 >5.構造化は「外へ出る」ためにこそ必要.北海道のとある施設の人の話ですが,構
 >造化を知る前はとても一般の職場に(援助つきであれ)出られるはずが
 >無いと思ってた重度の人が,職場で働けるようになったそうです.

 これよくわかります。
 でもってこんなことが先日紹介した「川を渡る」って本に出てました。

P150
第7章 発達障害における考え方の革命
    「最近の考え方の変化」

(引用開始)
 私はある収容施設で庇護授産所を運営しましたが、そこで働く人たちが
うまく仕事ができるように、彼らが一方にしかネジを回せないよう、あるいは
一方にしかのこぎりを動かせないように、ジグと固定装置を使って、労賃の
得られる仕事をいかに単純化できるかを考えるのに大変な時間を費やしたもの
でした。そして私は「別の方法でやってみよう」と称するワークショップを
主催する「マーク・ゴールドという同業者に会うためにトロントへ行きました。
 「別の方法でやってみよう」は庇護授産の事業がよって立つ職業能力に
ついての信念に対する周囲の期待を粉砕するような挑戦でした。ゴールドは、
「職業能力ゼロ」として放置され、収容棟でボディロッキングするままに
されている重度知的障害者たちに、どのようにすれば、込み入った自転車の
ブレーキの組み立てのような複雑な仕事を完成することを速く教えることが
できるかを示して、全国を回っている間に大きな興奮と、それと同じくらい
大きな抵抗を掻き立てました。彼は私の目の前で、また何百人もの聴衆の
目前で、初対面の人に対して、簡単な分類盤を使って、それをやってみせた
のでした。それは驚くべきことでした。魔術でした。
(引用終了)

 これ、TEACCHのセミナーでよく見られる風景と同じだろうな、と思いました。
 
 ただ、前半に出てきたジグはこの場合、英和辞典にjigとして出ている
「切削工具を導く装置」のことだと思います。で、たぶんそれがもともと
の意味で、TEACCHでよく聞くジグというのは、後半の「分類盤」にあたる
と思います。部品を分類したり、組み立てる順序などが、視覚的にわかり
やすいようにしてるわけね。
−−−−−−−−−−−−−−−
追記
 障害者施設における虐待の問題は、アメリカでも同じなのだ、というのが
わかります。


「川を渡る」によせて




posted by kingstone at 15:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

構造化(わかるようにする)された教育をすると

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。


Q.構造化された教育をすると、その中でしか生きられない人間になるのでは
ないでしょうか。

A.
まず「構造化」って何ですか?
 私は「わかるようにする」ということだと思っています。

 私たちも多くの構造化の中で暮らしています。

 毎年出るカレンダー。日付と曜日がわかります。
 職場から出る毎月の予定表。
 電話をかける時はノートに書いた電話帳。
 バス停には看板。そして時刻表。
 便器はおしっこやうんこをする所。
 洗面台は顔を洗い歯磨きをする所。

 誰かが何かを言ってくれている、それもわかるならば構造化のひとつ
と言えるかな。

 これらのものが一切なくなったら、私はどう動いていいかわからなく
なるでしょう。私は今ある構造化を外してほしくはありません。

 最近になればなるほど、私たちにも便利なように、いろいろわかりやすい
工夫がされるようになってきました。

 例えば視覚障害の方には点字ブロックがかなりの範囲で設置される
ようになりました。

 聴覚障害の方には、要約筆記や字幕、手話サービスなどがされることも
多くなってきました。

 さて、私も自分に意味あるものを見つけだしたり、スケジュールを頭に
入れたりする能力がかなり低い方だと思っています。しかし、世の中には
もっともっとそういう能力の低い方がおられます。自閉症の方がそうです
ね。もちろんこれにも個人差はありますから、人によっていろいろですが。

 自閉症の方は視覚的な情報処理が強い場合が多いので、場所を区切ったり
音声言語でなく絵や写真でお互いにコミュニケーションしたり、という
ような援助で暮らしやすくなることも多いわけです。

 そして人によっては、そういう方法をとっていても、どんどん他のやり方
も身につけて、そういう支援手段が必要無くなる方もいらっしゃるでしょう。

 しかし、ずっと必要な方もいらっしゃるかもしれません。

 ところで最初の質問

Q.構造化された教育をすると、その中でしか生きられない人間になるのでは
ないでしょうか。

 これは「できたらそういう構造化というのはなしですませられたらいいな」
ということだと思うのですが、もちろんそうできたら周囲の人間はいろいろ
準備したりしなくていいぶん楽かもしれません。対象の方にとって必要なく
なればやめたらいいですよね。

 しかし先ほど視覚障害の方や聴覚障害の方の例を出しましたが、我々は
「点字ブロック邪魔やからもう慣れたら外してもらいたいな」とか
「手話通訳、なんか横でばたばたしててうっとおしいから、講演者の
口だけ見てわかってね。もうやめましょう」とかは最近は決して思わなく
なってきていると思うのですね。

 さて構造化をはずそう、と言う時、その対象の方はその構造化が必要
なくなっているのでしょうか。で、そうであればOKだろうし、そうでなければ
あった方がいいだろうし。

 で、実のところ私も自閉症の方と意識してつきあいだしたのは、
たかだか4年(しかもきちんと勉強したのはここ2年くらい・・)
のことにしかすぎません。ずーーっと将来のこと、というのは本当の
ところわからない、というのが正直なところです。

 でも、やっぱりできる限りその方が生きやすい環境を整えるように
考えていきたいなあ、とは思います。
−−−−−−−−−−−−−−−
 > で、実のところ私も自閉症の方と意識してつきあいだしたのは、
 >たかだか4年(しかもきちんと勉強したのはここ2年くらい・・)
 >のことにしかすぎません。ずーーっと将来のこと、というのは本当の
 >ところわからない、というのが正直なところです。

 C君に対しては意識して構造化を一部取り入れて関わり出したのは
ここ1年と少しです。

 写真・絵カードでコミュニケーションすることを教えてみました。
 で家で好きな所にいけるように、いろいろな場所の写真を手帳に
入れてあげました。でも、たかだか8か所程度です。それ以外のところに
行きたい、と言えないなあ・・・と思っていたら、彼はカードの裏の
白紙部分をお母さんに示して要求しました。

 カードなどを示すことを教えてから指さしが増えました。
 しかし、カードを見て欲しい人に見てもらいながら、示すということが
できませんでした。よそ見をしながら別方向に向けて示してたりします。
そこで相手の肩をとんとんして注意を向けてもらうことを教えてみました。

 これをやり始めてから、相手の目を見てカードを示すようになりました。
 また「おーい」とでも言うように離れたところにいる人に手をあげること
も出てきました。

 以前はトイレに行きたい時に黙って行こうとして、止められつらい目を
することも多かったと思います。(本人がまんしてしまうからわからない・・
・・でも、止めてすごーーくもじもじあばれそうになった時、つかんで
いた手をはなすとピューッとトイレに走っていく、ということもあった)

 それがカードでトイレを示して行くことができるようになりました。

 そして最近は止められそうになった時に、トイレを指さして意思表示
できるようにもなりました。

 これは1例にしかすぎません。他のお子さんには当てはまらないかも
しれません。

 でも、私は構造化された教育の中で周囲が本人にわかりやすくなったり、
他人にわかりやすく伝えられた経験が増えれば増えるほど、こちらの意図
を越えて(構造化を越えて)本人が力を示してくれることがあるのだなあ、
と実感しています。

 いや、構造化を越えて、って書いたけどTEACCHの人は「それが構造化
なんだよ」って言うかな(笑)
−−−−−−−−−−−−−−−
○○さん、こんにちは。

 >これって、「脱構造化」の一歩ではないかと解釈したいのですが。

 ええ。それでもいいと思います。

 どう言ったらいいのだろう、「構造化」してわかるようになって
「脱構造化」もできる場合もある。もちろんできない場合もあるけど。
でそういうのも含めて「構造化」なのだよ。

 そして、私の上げた例はコミュニケーションの例(しかし視覚的構造化
とも言えるわけですね)ですけど、こちらが考えた以上のことを本人が
工夫してやってくれることもあると・・・


posted by kingstone at 14:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鉄腕アトムと晋平君

 大昔の話です。
 滅茶苦茶長文です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。


 本の紹介ですが、「今」読む必要も無いような気はします。

鉄腕アトムと晋平君―ロボット研究の進化と自閉症児の発達/渡部 信一¥1,995

 今2部の最初の方に入ったところです。

 ・・・・まず著者が見ている「障害児教育」と私が自分の周囲で
見ている「障害児教育」にずいぶん差がある。それは確実だろうな、
という気がします。

 ただ○○さんが涙を流して読んだ、というのはわかるような
気がします。

 しかし晋平君の成長から何を学ぶか、という点で、私は著述の範囲
だけからでも渡部さんとはかなり違う結論を引き出してしまいそうです。

 最後にメールアドレスを書いてはりますねえ・・・
 うーーん・・・著者にメールを送ることも考えた上で発言を書こう・・
うーーん・・・。

 まだ全部は読んでいませんが、とりあえず書きたくなったので。
−−−−−−−−−−−−−−−
 本の表紙にも

 「自閉症に訓練は必要」ですか?

 という言葉が書かれています。この「訓練」がキーワードですね。
 こないだFEDHANMで私、「指導要領を読む」というシリーズ発言を
アップしたのですが、そこでも「訓練」という言葉は話題になって
います。

 結局「訓練」という言葉にどんなイメージをこめるか、それによっても
全然違ってきますよね。
−−−−−−−−−−−−−−−
 晋平ママは素敵ですね(ニコ)
−−−−−−−−−−−−−−−
□□さん、どうもです。

 > 文中「認知心理学」とはでてきませんが,あきらかに
 >認知心理学的手法の批判です。「情報処理」なんて言葉
 >はでてきますから。

 批判してるの?
 よくわかんない。
 ってか、私には「認知心理学的手法」ってものがわかんないんだった(笑)
 それが例えばTEACCHだったりするのかな??
−−−−−−−−−−−−−−−
この本は決していいかげんに書かれた本ではないと思います。
 著者のあふれるばかりの思いがありますね。
 しかし・・・

 基本的には「今まで間違ったことをしてきてしまった。本当に悪かった」
というその思いの中で書かれているのかな、という気がします。

(引用開始)
P61
かって私は、障害児を持った母親から相談を受けたとき、「お母さん
がんばって下さい。一生懸命訓練すれば、きっとよくなりますよ」と
励ましの言葉をかけてきました。そして実際に、障害児に対して一生懸命
訓練してきました。この言葉は、現在の障害児教育を象徴しています。
障害を持ったことは不幸である。しかしがんばって子どもを訓練・教育
すれば、障害はきっとよくなって普通児に近づいてくる。かつての私は、
それを信じて疑いませんでした。
(引用終了)

 かつて、というのはいつ頃のことなのだろう。
 私は、1989年末にFEDHANに入会しています。
 さて、ところでFEDHANで「がんばって子どもを訓練・教育すれば・・」
という言葉を読まれたりした方はおられるかな・・・私は読んだことが
無いような気がします。

 ただ現場では、私の周囲でこういうことをおっしゃる方が皆無だったか、
と言えばそうとは言えません。教師や専門家で保護者に対して言う人はい
ました。

 著者も上記のようなことを信じてやっておられて、きっと傷つかれたの
だろうな、と思います。
−−−−−−−−−−−−−−−
△△さん、こんにちは。

 > >晋平ママは素敵ですね(ニコ)
 >
 > 私もそう思います。

 実のところ、この本を読むのはかなりしんどいことでした。
 でも、晋平ママの登場がそれを救ってくれました。

 晋平君が生まれてからのことを語ってくれてはります。
 自分では「何か変」と思っていても周囲は「大丈夫だよ」と言う。
保健婦さんが「言葉かけを多くして」とアドバイスし、いろいろ声を
かけるが振り返りもしない・・・保健婦さんは3歳くらいになれば、
言葉も出る、みたいなことを言われてたみたいです。
 で、NHKの療育相談に出てた先生のM医科大を受診したら、そこの
お医者さんは診断を告知してくれなかった・・・

(引用開始)
P114
渡部「M医科大で、「自閉症」と診断されたんですか」
晋平ママ「いいえ。相談が終わって帰るときに「この子は自閉症ですか?」
   って聞きました。言わないんですよ、自閉症ともなんとも。
渡部「そのM医科大の先生は、診断を下してくれなかった」
晋平ママ「ええ。「この子は自閉症でしょうか?」って聞いたら
   「そうですねえ・・・」って感じで、「はい」とも「いいえ」とも
   言ってくれない。それで今度は「障害児でしょうか?」って聞いたら
   「お母さんが障害児だと思いたければ、思ってもらってもかまいま
    せん」って言われて・・・。
(引用終了)

 繰り返し、この会議室で語られている診断の問題点がやっぱりそのまま
出てきてますね。でも・・・このお医者さんの対応・・・こんなん無茶や
なあ・・・でもこういう人多いのかなあ。

で就学前施設にも通うわけです。そこは様々な障害の子が集まっている
母子通園施設みたい。そこでの生活(著者は「訓練」と書いてるし、また
少なくとも個別な配慮はなされていないし、かなり「やらせる」要素が
大きいみたい)が合わないと感じて「こうこうこういう理由で、とても
今の晋平には療育を受けさせる気にはなりません」と手紙を書いて
やめはります。

 で、あれこれ関わるのだけど、うまくいかなくてつらかったりした時の
気持ちも正直に書いてはります。多くの方が共感できると思います。で、
全体に一緒にいて「楽しい」ことを大事にしよう、としてはると感じ
ました。

(引用開始)
P178
晋平ママ「私は晋平が好きなものとか欲しがるもの、興味あるものを
     ことごとく与えてきたんです。「そこまでやらなくても・・・」
     っていうくらいどんどん与えたし、「何に興味があるのか、何を
     見たときににこっと笑うのか?」とかが、3〜5歳くらいまでの
     私の最大の関心でした。そういう意味では、「自閉症にとっての
     効果的な訓練」というよりも・・・「晋平は何に関心を示すか」
     の方が私にとっては重大なことでした。だから、「水が好きだ」
     って言えば必死になって「プールだ」「公園の噴水だ」「海だ」
     ってつれていったし、「ひらがなパズルが好きそうだ」とわかれば、
     ひらがなのついたパズルは売ってるものはおよそ全部買い尽くした
     っていってもいいくらい買ったし、ひらがな関連の教材的な玩具は
     ことごとく少々高かろうがなんだろうが買いました。本に強い固執
     を示した時期には本を何十冊も買って・・・「親バカ」って言われ
     ればそれまでなんですけど。
(引用終了)

 というようなかかわりもしてはるわけですね。

 > 難しい話に発展していったので発言しようか迷っていたのですが、KING STONE
>さんの発言を読んでちょっと安心して出て参りました。

ぶはは・・・難しい話・・・実は渡部さんとのやりとりを読んでいて、
感じたのですが、晋平ママが語っていることはすてきなのに、渡部さんが
結構強引に「訓練はいけない」ということろに話をもっていこうとしている
部分が目につきます。で、晋平ママもその誘導にそって話をされる、って
感じ・・・言い過ぎかなあ。

 晋平ママ自身はすごくいい感じで「訓練」って言葉(あくまでも言葉ね。
ある人に言わせれば「やってはることは素敵な「訓練」ですね」って言い
はるかもしれない)を越えているのに、渡部さんはこだわっている、という
感じ。
−−−−−−−−−−−−−−−
 △△さん、こんにちは。

 > 前半のロボットと障害児教育については、難しい事はよくわかりませんが、今
 >よりもっと訓練重視だった時にロボットみたいになってしまわないか不安になっ
 >た事はありました。

 ロボットについては、新しいことも伝えてくれていますね。
 でも、現時点ではここに書かれてあることは私も知っていましたが。
 そういう意味ではアイボ(SONYのペットロボット犬)が出てきたことは
一般に知らしめたという意味では大きいのだろうな。

(引用開始)
P203
 われわれは「障害児をロボットにしちゃいかん」「ロボットのように
なったら子どもがかわいそうだ」と「ロボット」を目のかたきのように
言います。そして、こうも言うでしょう。「われわれは障害児を人間らしく
育てなければならないんだ。ロボットのことは機械屋さんにでも任して
おいたらいいだろう」。でも、もしこんなことをロボット研究者に言ったら、
彼らはプリプリ怒りながらこう言うでしょう。「何いってんだ!ボクたち
だってロボットを人間らしく作るために夜も寝ないでがんばってるんだ!」
と。確かに、彼らは人間らしいロボットを作ろうと研究を重ねてきました。
彼らは、自らの目標は「鉄腕アトム」であると言います。
(引用終了)

 で、対比されるのは鉄人28号ね。

 まあでも「ロボットにしちゃいかん」と例えば私を批判する方は、
鉄人28号型を連想してはるやろな・・・

 ところで、視覚支援、特にカードを使った時にそう言われることが
多いのですが、じゃあ音声言語を使ってはる人を見た時にどうでしょうか?
結構、音声言語で指示して指示したとおりのことをやらせようとしている
ことって多いのじゃないかなあ・・カードロボットだとダメだけど、
音声言語ロボットだと許せる??

 もろちん、場合によって指示したことをやって下さるのは大切な
ことだし、私はOKだと思っています。ただなぜカードで悪くて音声言語
だと許せるのかがわかんないだけで。
−−−−−−−−−−−−−−−
 > もろちん、場合によって指示したことをやって下さるのは大切な
 >ことだし、私はOKだと思っています。ただなぜカードで悪くて音声言語
 >だと許せるのかがわかんないだけで。

 で、実際、カードだとすっと理解してくれて、音声言語だと理解して
くれなくてうまくいかないことを多く目にするわけですね。でもカード
はダメで、音声言語のみでやろうと・・・(ためいき)
−−−−−−−−−−−−−−−
 > 著者も上記のようなことを信じてやっておられて、きっと傷つかれたの
 >だろうな、と思います。

 なんだかおこがましいですね・・
 著者は、東北大学教育学部人間発達臨床科学講座助教授です。
 指導的立場にある方ですね。
 私は職場でも吹けば飛ぶような一変人にすぎません。

(引用開始)
P62
 もうひとつ、これは最近の話。大学の公開講座の講師として、「障害児
教育」について話す機会がありました。受講生は例年同様、養護学校、
ろう学校、就学前の障害児通園施設、障害児者入所施設、特殊学級など
いわゆる障害児教育の専門施設の教師や職員が多数を占めました。しかし、
特にその年は、その中に幼稚園や保育園などの先生が目立ちました。これは
近年、障害があっても健常児とともに教育しようという風潮が広まり、
障害児が幼稚園や保育園に入園することが多くなってきた結果です。
公開講座で出会った幼稚園や保育園の先生がたも、自分が障害児を担当し、
少しでも障害児にとってよい教育をと考えている先生がたでした。本来、
健常児を対象とした教育・保育を専門とする彼女たちが、障害児を受け入れ
彼らに対し少しでも良い教育をしようと考えることは大変すばらしいことです。
 私の話をひと通り終えて、質疑応答の時間、幼稚園の先生との会話。

先生「私たちは障害児に対し、何をすればいいんですか?」
私 「特別なことは、何もすることはないと思います。ごく普通に子どもたち
  の良い集団作りを考えて下さい。それが先生がたの本来の仕事ですし、
  良い集団の中で生活することこそが、障害児の発達にとって最も重要な
  ことなんですから」
先生「でも、目の前に障害児がいるのに、何もしないわけにはいきません。
  私は彼に何かしてあげたいんです」

 私は障害児の発達にとって良い環境が重要であることを説明しましたが、
先生は熱心に何かの指導技法、あるいは障害児を扱うテクニックを教えて
ほしいと希望します。彼女にとって「目の前にいる障害児に対し何もしない
こと」は、どうしても罪悪感で耐えられないことのようです。彼女は、
障害児を、「指導しなければ発達しない存在」として認識しています。
もちろんそれは、彼女のヒューマニズムに基づいたものなのでしょうが・・・。
(引用終了)

 まあこの後に「肩の力を抜く」という話が続くのですが・・・

 ところで、まずこの会話・・「障害児に対して」なんて言い方するだろうか?
たとえば「こんな時にこんなことをする子がいるんですがどうしたらいいで
しょうか」って言いそうなもんだし。

 私だったら「何かお困りなんですね。どういうことかもう少し詳しく説明
していただけませんか?」って聞くなあ・・・

 それでも「障害児」なんて言い方をされたら、私、相手の方を叱責して
しまうかもしれない。ちゃんと○○君として見てね、って。

 いきなり「何もしなくていい」は無いなあ・・・まあ「良い集団作り」
「良い環境」というのがキーワードなんでしょうね。だったら、その例も
伝えたいと思うなあ・・・

 しかし、「彼女」は本当に「指導しなければ発達しない存在」と考えて
いるのだろうか。あるいは反問すれば健常児は「指導しなくても発達する
存在」なのだろうか・・・著者は「彼女」の考えを確認しているのだろうか・・

 うーーん・・・他の場所でも他人に対して「こう考えている」という
決めつけがかなりきついと感じられます。で、それがあまりあたっていない
ような部分が多いです。例えは「今までの障害児教育ではこう考えられてきた」
と書いてはる部分は多いのですが、少なくとも私の周囲を見回すと、全然
そうじゃないよ、ってとこが多い。著者の周囲ではそうだった、ってこと
なんだろうか・・・あるいは著者自身はそう考えてきていた??

 主語が誰か、っても「われわれはこう考えてきました」というわれわれに
少なくとも私(KING STONE)は入らないし、これは同僚のことなのだろうか、
今までつきあってきた保護者の方たちも入れるのだろうか、とかよくわからない
部分ってあります。

 □□さんが「著者は臨床心理学系か」って書かれてましたけど、
私、カウンセリングの勉強を始めてまずたたき込まれたのが人の話をきちん
と聴く(自分の思いと他人の思いを区別する・・・ついつい自分の思いで
人の話を聞いてしまうもんだから)ということです。うーん・・臨床心理学系
とは思えないんだけどなあ。

 うーーん・・・私、公開みたいな講座で大学教授とやりあいみたいに
なっちゃったことがあるんですが・・・そら権威も全然ちゃいますしね。
まいるなあ。

PS. 私が肩の力を抜ける環境が欲しいっす
−−−−−−−−−−−−−−−
○○さん、こんにちは。

 ほんとうにごめんなさい。
 
 ○○さんが大好きな本に、どちらかというと否定的な意見を
書いてしまいました。

 でも、本当に晋平ママさんには何も否定するところはありません。
 ええやん、て思います。

 >前半は、現在の障害児教育を、
 >ロボット研究の行き詰まりに例えているのだと読みました。

 その「現在の障害児教育」というのは、私の周囲に現実にあるものとも
違いますし、また私が目指しているものとも違います。

 「かつて著者がやっていた障害児教育」ではあるようですね。そう書いて
はりますから。またひょっとしたら「著者の周囲にいまだある障害児教育」
なのかもしれません。

 ○○さんの周囲の障害児教育も著者の否定するような障害児教育(でも
なんかやな言葉だなあ)なんでしょうか?ひょっとしたらそういうこともある
かもしれないなあ、とは思います。

 またかつての著者のように「訓練すれば普通の子になる」と思って必死で
「合わない」訓練をさせ続けて来てしまった、という思いのある方の琴線に
触れる部分があるのはすごくよくわかります。(注・○○さんがそうだ
というのではありません)

 私も自分自身に対して「がんばれ、がんばれ」みたいなところがあって、
ちょっと疲れたことがありますから。

 >このお母さんは一時期を除いて、
 >晋平君に特別な訓練はさせなかったようですが、
 >本当に何もしなかったわけではないだろうな…と思っています。

 私が引用した部分だけでもすごいことをやってはりますね。

 別発言にも書きましたが、私はここの晋平ママの発言の中で多くの
ことを学ぶことができます。しかし、それは著者とはだいぶ違うこと
になってしまいます。

 もちろん、「言葉」で伝えるというのはすごく難しいことです。
で著者はその部分に踏み込もうと努力されているのだと思います。
しかし、それを書籍の中の「言葉」で伝えようとする時に、ちょっと
失敗されてるのではないかなあ、と思います。
−−−−−−−−−−−−−−−
TTさん、あけましておめでとうございます。

 >改めて、親の立場から宣言します。
 >「自閉症児に訓練(療育)は必要です!!」

 本のことは置いておいて、結局のところ「自閉症」という言葉が
問題になるように「訓練」という言葉の持つイメージの問題、ってのが
すごくあるように感じます。

 私の場合、肢体不自由児の教育のさいに周囲の方にすごくそれを
感じました。訓練して訓練して訓練したら歩けるようになるよ、
そうしたら万々歳・・・また指導要領のところ(FEDHANM,13番)
で書いたように「養護・訓練」というものへの「誤解」???
−−−−−−−−−−−−−−−
○○さん、こんにちは。

 私はこの本を読んでものすごく苦しくて、土曜日から始まった怒濤の
書き込みは実は全てこの本への私からの回答でもあるのです。例えば
FEDHANSの2番会議室の「川を渡る」の紹介も。

○○さんはすごく大事なことを書いて下さっていると思います。

 >ただ、最近疑問に思い始めていたのは事実なんです。
 >でもどの先生も話し合いのできる方ばかりなので、
 >親の思いを十二分に聞いて下さるのはもちろん、
 >実際にそれを何とかカリキュラムに反映させようとして下さっているのが
 >解るので、通うのを止めようとまでは思っていません。
 >そういった意味ではほぼ満足しています。

 すてきな先生方ですね。
 著者や晋平ママの対談でも出てきますね。

(引用開始)
渡部 知識で頭の中いっぱいにしてしまうと、その知識に反するものを跳ね
   返してしまうってことがありますよね。何でも受け入れられる状態に
   しておかないといけない。
晋平ママ 本当にそう思います。だから特に、学校の先生にはそうやって
   ほしいと思うんです。自分の教育方法っていうのは持っていて
   ほしいし、事実持っているんでしょうけど、教育法っていう枠の中
   に子どもを引きずり込んだり、その枠組みだけで見るんじゃなくって
   子どもの出すいろんなサインとかいろんなことばとか表情とかを
   いつでもキャッチできるように。
(引用終了)

 もう全然反論はありません。
 そしてこれは私のIEPに関する発言に関連してきます。
 うふふ、TEACCHの枠組みの中に引きずり込もう、という非難はされる
かな。

 それからこれは言い過ぎかもしれませんが・・・引用した
P61の部分からはうーーん、何ていうのか「私は真理を知っている。
私の言うことをやってれば間違いない」というような感じが伺えます。
で、もちろん著者は「私が信じていた「真理」は間違っていた」と
改心されるわけですが、結局、今も「えらいさん」で、「私は正しい、
訓練しちゃいけないんです」と結構上から教える、という感じは
同じなんじゃないかなあ、という・・・憶測ですが。

 じゃあ、おまえはどうなんだ、ということになりますね。

 私は「絶対正しい方法をやっている」と感じている、というのとは
ちょっと違います。自分が間違う可能性を前提として、だからこそ
保護者と一緒に考えていきたい、と思っているわけです。で、私の
場合はそれしかないよな、と思っているわけですが。

 >実際のところ著者が言いたかったことは、
 >本人に聞いてみないと解らないと思いました。

 これはねえ・・・その通りなんですが、著書として世に問うた以上、
どうなんだろうか?
 
 >FEDHANに発言されている自閉症児の親御さんは、
 >全国の自閉症児の親の、ごくごく一部の方です。
 >そして、先生方もごくごく一部の先生ですよね。

 しかし・・・例えそれが少数であっても著者が「今までの障害児教育」
と書かれていることと、別のことは存在するわけです。もし著者が
FEDHANに参加して下さっていたら、ずいぶん違った著作になっただろう
なと思います。

 で、また実は「残念な意味」でも、この著者の考えていることと私が
かなり広い範囲で見聞したことも違います。

 この先生はスモールステップ(しかし、この著者の書いている
スモールステップというのも実は私には??だったりします。)
で指導していくことを批判してはります。私の周囲では「分析」
してスモールステップで指導する、という実践は非常に少ない
のが事実です。何も考えていない、という方が多い・・(こんな
こと言っていいのだろうか・・・)そういう意味では言葉にすれば、
現在の著者の形の方が多い??

 また私の周囲でスモールステップを指導のごく一部で考えながら
取り入れている方は、それなりの効果を上げています。もちろん
失敗もあります。

 それから著者はスモールステップと同時に構造化にも疑問を
呈してはるようです。それへの私の回答は「構造化(わかるよ
うにする)された教育をすると
」です。

 私などとは全然違うやり方で、例えば私を強く非難される方も、
また著者とは随分違ったやり方で、すてきな効果をあげていらっ
しゃいます。FEDHANには参加されておりません。

 つまり著者の言う「今までの障害児教育」の方が私の周囲で見る限り、
ごく少数というかほとんど無いといってもいいものです。

 あ、ただしこういうことは言えるかな。現場の者で「学者なんて
現場の役にはいっこもたたん」と言われる方がおられます。その方の
イメージの中にある指導の方法がP56〜58に書かれているような
方法である可能性はある?

 でもこのP56〜58の例も随分だなあ・・・と思います。
 ただ、この例の場合はそういうことをやる人はいます。
 そして私がやっていること(課題学習)をちょっと聞いて
「KING STONEはP56〜58みたいなことをやっている」と誤解
して非難する人もいます。

 あっ、この例って絵カードを見せてそこに書いてある例えば犬
を見て「いぬ」と言わせるという指導なんですが、そのお子さん
にあまり合っていない様子が出てきます。

 私が知的障害のお子さんと「カードを使っている」「机の上で
勉強している」というのを聞くとつい上のような絵柄がその方の
頭の中に浮かんでくるみたいですね。

 もちろん、そのお子さんに合っていれば、そういう指導も否定
はしません。

 >正しい障害児教育がいかなるものか、私には解らないから…。

 たぶん、そんなもの無いんです。
 だからこそいろんな人が相談しながらやっていかないといいいもの
にならないんじゃないかなあ。

 >ツリーの中の多くの個所で、
 >「著者や、著者の過去にしてきていたであろう訓練が間違っているのでは」
 >という風に読めたのですが、ということは、
 >「正しい療育や訓練を受けていたら間違いはない
 > =子供は親が望むように成長する」
 >ということなのでしょうか?

 前段はかなり思います。
 後段は「そんなことはない」「だいたい「正しい」ってのがあるのか?」
というふうに思いますし、私は人間って周囲の意図を越えた成長や、あるいは
意図からずれた成長をするし、でそれが面白いんだ、って思います。

 たぶん、「周囲の意図と違う成長もある」と考える点では私と著者は
同じです。しかし、「だから意図したはたらきかけをしてはいけない」と
考えるか「意図してはたらきかけよう。でも意図したのとは違う成長も
するんだよ」と考えるかの違いがありますね。

 それからあるお子さんにある時点で「いい」意図的な働きかけがあった
として、同じ働きかけをその時点より早い段階にやったとしたら、まったく
逆効果しかなかった、ってこともあるわけですよね。そのお子さんを追い
つめちゃうことだってある。

 また同じ時点で別のお子さんに同じ働きかけをしたけど、やっぱり逆効果
だった、ってのも。

 無理はしないでおいたほうがいいな、って思います。
 その点では著者とも同意できるかもしれない。
(でも、この言葉も言葉にしたとたん、違うぞ、という部分は出てきます。
 ちょっとだけ無理してできた時の喜びを共有する、そんなことも時には
 ある・・・)

 実はこの点で、昨年の暮れに大失敗を私はしました。
 それを書きたいのだけど、すごく時間がかかりそうでね・・・
 ほんとみなさんにコメントを頂きたいけど。

 私はえらいさんなんかじゃない。私はいつも「正しく」なんかはない。

 >私がこの本を読んだのは、
 >息子が正式に高機能自閉症と診断されて15日経った日です。
 >この15日間どんな気持ちでいたかは省略しますが、
 >この本にたまたま本屋さんで出会って、とても勇気付けられました。
 >自分が自分でなくなりそうな時に、
 >「それで良いんだよ。自信を持ってね。」
 >って言ってもらったような気持ちになりました。
 >(この本以上に励まし続けて下さる方もいます>某氏)
 >今もまだ、気持ちが揺れる時は、
 >こんな風に励ましてもらえる本とか、人の思いやりとかが必要なんです。

 よくわかるような気がします。
 少なくとも「無理はしなくていいよ。子どもは成長するんだよ」
というメッセージは伝わって来ますね。
−−−−−−−−−−−−−−−
△△さん、こんにちは。

 > 画期的な訓練法が開発されたとしても鉄腕アトムにはなって欲しくない様に思い
 >ます。自閉症児が正義の味方に変身したら恐ろしいです。CCはロボコン
 >(わかるかな?)くらいをめざしたいですね。

 わかる!!


 でも、そう言われちゃうと鉄腕アトムが可哀想かな・・・
−−−−−−−−−−−−−−−
AAさん、こんにちは。

 > 歩行が妥当な目標になり得る場合には当然目指しますが、KING STONEさんがいわ
 >れているのは、「ちょっとほんとに〜?」と疑われているケースですよね。そんな
 >子どもたちに対して、「苦しい」訓練を課して正当化している、。

 はい。

 それと同時に、例えば「自己選択」とか「社会参加」のための
授業(?)はどうなってんだ、というようなとこかな。最近は
随分変わってきたこととは思います。

 >#ああ、なんか脱線してきた、、。

 ぴったりど真ん中だと思います。
−−−−−−−−−−−−−−−
 引用部分がずれてました。

 > ○○さんはすごく大事なことを書いて下さっていると思います。
 >
 > >ただ、最近疑問に思い始めていたのは事実なんです。
 > >でもどの先生も話し合いのできる方ばかりなので、
 > >親の思いを十二分に聞いて下さるのはもちろん、
 > >実際にそれを何とかカリキュラムに反映させようとして下さっているのが
 > >解るので、通うのを止めようとまでは思っていません。
 > >そういった意味ではほぼ満足しています。
 >
 > すてきな先生方ですね。
 > 著者や晋平ママの対談でも出てきますね。
 >
 >(引用開始)
 >渡部 知識で頭の中いっぱいにしてしまうと、その知識に反するものを跳ね
 >   返してしまうってことがありますよね。何でも受け入れられる状態に
 >   しておかないといけない。
 >晋平ママ 本当にそう思います。だから特に、学校の先生にはそうやって
 >   ほしいと思うんです。自分の教育方法っていうのは持っていて
 >   ほしいし、事実持っているんでしょうけど、教育法っていう枠の中
 >   に子どもを引きずり込んだり、その枠組みだけで見るんじゃなくって
 >   子どもの出すいろんなサインとかいろんなことばとか表情とかを
 >   いつでもキャッチできるように。
 >(引用終了)

 ちょっと私の引用部分の間違いですね。
 私は○○さんの書き込みから教師(療育担当者)と保護者が話し合える
ことの重要性を言いたかったのですが、私が引用した部分は、「子どもをよく
見る。子どもから教えてもらう」ことの重要性を述べた部分ですね。

 もちろん「「子どもをよく見る。子どもから教えてもらう」という点にも
反論はありません。

 でそこに続く部分で

(引用開始)
P168
晋平ママ そういう状態に先生がいていただくと、私たちが「ちょっとこう
   いう風にしてください」っていうことも素直に聞いていただける。
   それをするかしないかは別にして・・・。それを聞いた段階で自分の
   中で推察して、自分の教育方法と照らし合わせてやるやらないは先生が
   判断されればいいんですけど、少なくとも「聞き入れてもらえる」って
   ことが母親にとってはとても大事なことのように感じます。そして
   子どもにとっても、自分が出している信号をきちんとキャッチしてくれて
   いるってことを感じられているときには、大きい力が出るような気がする
   んです。
(引用終了)

 ここまで来て、教師と保護者が話し合って考えていく、というのとつながり
ますね。
−−−−−−−−−−−−−−−
○○さん、こんにちは。
 あはは、やっぱりごめんなさい、って謝らなければならない。

 > > それからこれは言い過ぎかもしれませんが・・・#7681 で引用した
 > >P61の部分からはうーーん、何ていうのか「私は真理を知っている。
 > >私の言うことをやってれば間違いない」というような感じが伺えます。
 > >で、もちろん著者は「私が信じていた「真理」は間違っていた」と
 > >改心されるわけですが、結局、今も「えらいさん」で、「私は正しい、
 > >訓練しちゃいけないんです」と結構上から教える、という感じは
 > >同じなんじゃないかなあ、という・・・憶測ですが。
 >
 >私は「上から教えている」という感じは受けなかったんですね。

 やっぱり言い過ぎ、そして思いこみですね、私の。

 私の周囲でも「頑張って、頑張って訓練しなさい。そしたら普通になるから」
みたいなことを言われる方はおられたわけです。で、ついそういう方の顔が
浮かんでしまい、ついそういう人たちに言いたかったことを書いてしまった、
というところですね。

 いかん、いかん。

 >「意図した働きかけ(訓練)だけでは、行き詰まるのではないか。
 > 偶然の出来事などからも、子供が自然に学ぶこともあるんじゃないだろうか。」
 >と言ってるように思えたんです。

 これについてはね・・・

 私は○○さんの書かれた意味では全然反論ないです。
 
 で私は他の発言で書いてますように、意図した働きかけをし、かつ
偶然の力も、そして子ども自身のこちらの意図を越える力もおおいに
借りよう、そういう意見ですね。
−−−−−−−−−−−−−−−
 ○○さん、こんにちは。

 #7735 については、いちいち引用しません。
 ただひとつ。

 ○○さんの実感を大事にされることをおすすめします。
 それにまさるものは無いような気がします。
 大切なことにいっぱい気づいておられると思います。

 ごめんなさい。もっとちゃんと書きたいのですが・・・
−−−−−−−−−−−−−−−
 結構しつこかったりする私です(アセ)

○○さん、こんにちは。

 いろいろ自分の書き込みも反省したりする私ですが、やっぱり
いろいろ思うところはあります。(なんのこっちゃ)

 >(P.28より引用開始)
 >  しかしながら私は、ロボット開発における1980年代後半の「行き詰まり」の
 > 事実を知って、はたしてこのようなパラダイムが、障害児に対する唯一のパラ
 > ダイムなのだろうか、という疑問を持つようになりました。これまで障害児教
 > 育の領域では決して疑われることのなかった「簡単なことから複雑なことへ、
 > 積極的で専門的な指導によって、一歩一歩確実に発達を促していく」という常
 > 識が、そしてそのために「環境やスケジュールを構造化していく」という考え
 > 方が、どうもあやしく……少なくとも障害児教育における唯一の選択肢ではな
 > いように、感じられてしようがなくなったのです。
 >  最後に、障害児教育に関しての私自身の疑問を、もう一度示しておきます。
 >
 >   「単純なものから複雑なものへ、スモール・ステップで発達していく」
 >   というのは本当に正しいのだろうか?
 >(引用終了)
 > 
 >
 >これらの引用文だけでも、
 >「批判以外のなにものでもないじゃないか」という声が上がるでしょうか。

 この部分、○○さんの感想の部分ではない部分でひっかかるのですね。

 > 方が、どうもあやしく……少なくとも障害児教育における唯一の選択肢ではな
 > いように、感じられてしようがなくなったのです。

 というのはかつて「唯一の選択肢」と思われたのは著者ですよね。確実に
言えるのは。

 私の周囲でそういうことを考えてはる方は少ないと思えるもんで。
 私自身も違いますし。(しかし周囲からそう思われることはある
みたいです。あの人はパソコンなんかやってるから1つの方法しか
無いと思ってしまうのだ、という非難は受けています(笑))

 で、大多数の人が「唯一の選択肢」と考えているのであれば、
パラダイムの転換としてこの著作の意味がおおいにあるわけですが。

 うーん・・・「唯一の選択肢」と考えてる人、多いのだろうか。

 > これまで障害児教
 > 育の領域では決して疑われることのなかった「簡単なことから複雑なことへ、
 > 積極的で専門的な指導によって、一歩一歩確実に発達を促していく」という常
 > 識が、

 私の場合、こういうことでは無いのではないか、というのはもともと
思っていましたが、はっきりと言葉として学んだのはTEACCHから、と
言ってもいいのではないかなあ。つまり「今できる(簡単な)ことを
組み合わせて何かができるようにしよう」

 >「私はそうは思わなかったんですぅ〜」ってことだけ言わせてください(^^)

 はい(ニコ)
−−−−−−−−−−−−−−−
確かに現実は一筋縄ではいかない・・

○○さん、こんにちは。

 >あんまり、いや、ほとんどいないんじゃないかな?と、私は思います。

 でしょ。

 >いざふたを開けてみたら、それに近い事をしてしまっている人は
 >案外いるのかもしれないなぁ…とは思うんですね。

 ううむ・・・・・それはあるかもしんない・・・・
 で、確かに「訓練訓練」ってそればっかり思っている人に、少し
考えこませる効果はあるか・・・うーーん・・・でもなあ・・・

 >やっぱり、人に勧めるほどの本ではないってことかな。

 ううむ・・・・きちんと利益にするに、むつかしい本であることは
確かな本だとは思います。ただBBさんのおっしゃるように読めば
いい本ではある・・・

 また○○さんが感動されて、勇気づけられたことは確かな
わけで。

 でももうちょっとわかりやすく、そして親御さんを勇気づける本も
たくさんありそうな気はしますねえ・・

 さて、自分の実践の失敗例でも書いてみようっと・・・
−−−−−−−−−−−−−−−
BBさん、こんにちは。

 ><注意>
 > アレルギー反応の強い人は読まない方が良いでしょう。私の中にある
 >TEACCH菌とは対した反応を起こしませんでしたが、人によっては危険です。

 ぶははは、これ最高。

 そう、著者の問題ではなく、読み手の免疫機構等々の問題であると・・・
 なるほど、なるほど。
 私の場合はTEACCH菌(?反TEACCHの言説抗体?)ではなくどっちかと
いうと「えらいさん抗体」に激烈に反応してしまったのですが、しかし
それも私の問題なわけで、うん納得やなあ。
−−−−−−−−−−−−−−−
追記
 渡辺さんは、障害のあるお子さんのための地域ネットワークを作ったり
もされてます。それこそ「何もしない」でいた方ではないと思います。

現在
東北大学大学院教育情報学研究部 研究部長
東北大学大学院教育情報学教育部 教育部長 
とのことですね。

























posted by kingstone at 12:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フォレストガンプ

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。


 学校IIIを借りに行ったら、貸し出し中だった。
 で、フォレストガンプを借りて来た。
 ちょっと会議室違いになりますが・・・・

 おしっこに行くのも我慢して見てしまいました。

 もちろんファンタジーだけど、強烈に「そのままでいいんだよ」と
いうメッセージが伝わってきますね。

 しかし途中でアップルに投資してたけど、低値の時に売ったり
しなかったんだろうか・・・
posted by kingstone at 11:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

サポートブック(マニュアル)

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。


○○さん、どうもです。

 「□□マニュアル」見てきました。
 素敵ですね。皮(?)の表紙がなんともおしゃれ。
 
 で、できたら「△△について具体的に書いてあります」のところを
クリックしたらその具体的な文が読めるといいなって思いました。

 それから「マニュアル」「取扱説明書」という言葉、私なんかは
納得納得だけど、むっとする人はむっとするかな・・・

 でもね「KING STONE取扱説明書」を作ってみんなに読んでおいて
もらいたい、ってのはあるはなあ・・・いったいどういうところで
傷ついて落ち込むのか、とかね。文書名が「取扱説明書」で全然
構わないもんな。
−−−−−−−−−−−−−−−
 >そうでしょうね。私も、きっとそう思う方がいると思いました。でも、入力して
 >いた時に他にいい言葉が思いつきませんでした。
 >先ほども、□□父と二人、何かいい言葉、ないかなぁ。って言っていました。
 >
 >私たち自身はそんなに悪い言葉とは思っていませんが、もっといい表現があれば
 >採用させていただきたいです。

 TEACCHの最初のtreatmentって言葉も気になってました。

 今辞書で調べたら「もてなし、待遇。治療」となってました。

 日本語訳は「治療」をとってますね。でも「もてなし、待遇」ってのも
あるんだ。treatになると「取り扱う」ってのも出てきます。でも

「待遇する」「ごちそうする」「治療する」なんてのもありますね。

 私自身は人に対して「取扱」とか「マニュアル」とかになるとちょっと
変だな、と思いますけど、でも確かにいい言葉がうかびません。

「もてなし説明帳」ってのもいいかも・・・
「個別教育計画」も「個別もてなし計画」
でも例えば自分や自分の子どものことを他人に知ってもらう時は変か・・
学校だったらいいかも。学校はサービス業なんだから。
これってひょっとして日本語の敬語の感覚の問題??
−−−−−−−−−−−−−−−
サポートブック(という題名での発言)


○○さん、こんにちは。

 あっ、いや、別に書き直して欲しい、って意味ではなかったのですが、
わあいろいろ考えて下さってるんですね。私にももちろん参考になります。

 >あのね、さっき□□父と相談して、「アシスト」と「サポート」の二つの候補が出
 >てきました。

 なるほど、なるほど。

 >「このブックは文字通り、□□の行動をサポートしやすくするためのものです。」

 かなりぴったりはまってきますね。
 そうかあ、私なんかもボランティアする時にこう考えればいいんだ。

 >日本語でいくと「お助け便利帳」(う〜ん、これだと江戸時代になっちゃうか)

 あははは。でもほんま、やまとことばでぴったりくるのが無いってのが
困ったもんですね。結構深い問題かも・・・逆に言うとそういう言葉を
見つけられたらすごーーく、考え方が進むのかもしれない。
−−−−−−−−−−−−−−−
追記
 うひゃあーー、「サポートブック」って言い出したの私なんだ!!
 完全に記憶から抜けてた。

 私「マニュアル」という言葉に違和感を表明しただけかと思ってた。
 でも結局マニュアルなんですけどね。最近ハルヤンネさんが言い出してる

マニュアル

とか。で、合うように変えていくんだけど。







posted by kingstone at 11:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

TEACCHと知的障害特別支援学校教員の関係

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。


○○さん、こんにちは。

 あっ、まずお断りしておきますが、私、○○さんに反論しようとか
説得しようだとかは全然思っておりませんです。この商売について以来、
「お前の言うことには説得力が無い」と言われてきておりますので(笑)

 > でも,この例えだとあらゆる
 >指導法・療育方法はこれに当てはまると思います。

 確かにそうやね。で、ほんまどの療育方法でもそういうもんや、と
思います。つまりギターを弾くことの技術の取得との一致がある。実践と
いうことやろね。

 > また,□□さんが提起した
 >
 >>>「TEACCHを適用」するプロの人は,最低限大学初年級程度の行動理論と
 >>>認知理論を学んだ上で,少なくとも日本語で読める文献を20以上は読む
>>>べきでしょう.そうすればTEACCHの基本理念は杓子定規な対応には無い
>>>ことがわかるはずです.
 >
 >に対する説明にはなっていないと思います。

これについては「だからTEACCHはダメなんだ」と言う方がTEACCHに対して
あまり勉強されていない、ということへの苛立ちの文と読みました。

 でも考えたら、これもいろんな療法をやってはる人たち、そう思ってはる
やろな。「だから○○法はだめなんだ」と言われた時にたぶんやってはる
人は「そら、こんなことしちゃいかんわあ、こことここでもう間違ってる」
とかいうのがわかるんですよね。

 で少し書いたけど、実際知的障害特別支援学校教員としてまず□□さんの
要求する勉強をしなきゃTEACCHを参考にした指導ができない、ということは
無いと思います。これは□□さんも書いてはるように「Fの音が出た!」と
いう感動の段階ね。

 ただやってりゃうまくいかないこと、わかんないこと、いっぱい出てくる
わけですね。そうなった時に即「だからTEACCHはだめ」と考えるか、「何で
やろう」と考えるか、そこでずいぶん違って来ます。そしてこれまた何の
療育方法でも一緒やね。

 私の場合だったら、そこでまた本を読み、研修に行き、研究会で質問する
という形をとったわけね。

 > つまり,「多くの療育法・指導法を広く,そこそこ深く」
 >持ち合わせているのが教員としての「プロ」です。

 ここらへん、微妙なんやけどね、ある意味で「特定の療育方法」について
なーーんも知らなくてもいいのかもしれない、と思います。まず目の前に
起こっていることをちゃんと見ることができるのであれば。ただしそれが
難しいのだけど・・・「普通はこれくらいのこと我慢できるはずだ」とか
「私が楽しいから子どもも楽しんでいるはずだ」とか目が曇ることはよく
ありそう。

 で、しかし、「ひとつの療法に偏らないプロだから、□□さんの言うような
勉強は必要ない」ということではないよね。実際に「広く、そこそこ深く」
勉強してはる人、周囲を見渡してもあんまりいない。

 これってね・・まあ別に本は読まなくてもいいけど、読まないの
だったら、人に聞くとか研修に参加するとかして欲しいなあ・・
ネットワークで学ぶ、というのでもいいし。

 昨年の夏のTEACCHセミナーは4泊5日で8万円(宿泊こみ)
 今年の夏のTEACCHセミナーは4泊5日で10万円(宿泊料別)
 
 その後の私の現場での展開を考えるとずいぶん安いと感じます。
 でもこのあたりの金銭感覚も、私の場合、パソコンを買い出してから、
大きく狂っているのかもしれない(爆笑)
−−−−−−−−−−−−−−−
追記
 宿泊こみで8万円って・・・激安ですね。



posted by kingstone at 11:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自閉症に関する勉強時間など

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。



○○さん、こんにちは。

 >「日本でまじめに自閉症を勉強すれば,TEACCHに限らず色々な療育技法が嫌でも目に
 >付く」と思ったのですが,それは間違いですか?

 私の周囲に限定してお答えします。

 間違いです。

 いや、前提の「まじめに自閉症を勉強すれば」という条件が無い、といった
方が正解かな。

 療法についてはちょっと話に聞く程度はあるかもしれません。
 しかしそれらを「自分のこととして、自分が学ぶこととして」聞く方は少ない
です。

 しかし現在の私の周囲は話の中に「TEACCH」「太田のステージ」(以上私)
「受容的交流療法」「○○法」が出てくることが多くなりましたが、
ここ1年少しですね。ある意味で私がきっかけになっています。

 特別支援教育の新任の先生たちの講習会で講師に来た大学教授は、「こういう
ひとつの技法(?)を研修会などで学ぶのはやめなさい。先輩から学びなさい」
とおっしゃいました。この時はたまたまいろいろあってTEACCHがやりだまに
上がってました。しかし「いろいろ勉強しなさい」とも言ってはりましたから、
いったいどないせいっちゅうねん、というところです。

 そしてその先輩のやってることがとんでもないことだったら・・・

 >例えば,どこの学校にもあるだろう
 >と思われる日本文化科学社,学研の図書目録をパラパラめくり,「発達の遅れと教
 >育」,「実践障害児教育」のバックナンバーを見渡し,特殊教育学会の抄録集を数年
 >分斜め読みすれば,太田ステージ,動作法,受容的交流療法,行動分析,TEACCHなど
 >の話しはでてくると思うのですが.その程度の情報収集もしない教師が多数派なので
 >すか?それとも,勉強の方法がそういった方法ではないのかな?

うちの学校には実践障害児教育は置いてあるな。でも、置いてあるのを読む
人はほとんどいないだろうな。個人的に毎月取っている人は少ないです。

 特殊教育学会の存在そのものを知らない人がほとんどです。
 それも相当勉強している人でも・・・
 いろんな療法の勉強をする人は少数です。
 また勉強の方法がそういった方法ではない、というのも確かです。

 >大体,平均的な特殊教育の教師って,月にどの位の時間,特殊教育関連の本や文献を
 >読む物なんでしょうか?

 ほんと他人のことはわかりませんが0っていう人が結構いるんじゃないかな。
 また「読む」人で全然実践に結びつかない人もいるし・・・

 私がちょっと勉強しただけで「kingstoneさんは専門性があっていいなあ」
と言われましたが、その時の憮然とした気持ちがおわかり頂けるでしょうか。

 あはは、だいぶ○○さんの認識とはずれがあるでしょう。

 で、それを前提としてどう変えていくか、というところを常に
考えているわけです。「普通の教育」「普通にする教育」の力は
とても強いです。

PS. いかん・・秘密をばらしすぎているか・・・


posted by kingstone at 11:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

カウンセラーとの忘年会

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。


 私は宴会はどっちかいうと苦手です。
 でも、今日の会は誘われた時に即「行く」と返事をしました。
 カウンセリングの勉強を一緒に続けてきた仲間たちです。

 開業カウンセラー
 派遣スクールカウンセラー
 校務分掌上で相談業務をやってる者

 私以外はみな何らかの形でカウンセリングを仕事としてやっています。
 ベースはロジャーズとファンタジーセラピーということになるかな。

 私の現在の活動について説明する時も、どう捉えるかがわかるので、
結構つっこんだことをさっと話せるので、ありがたいです。
 今日は託児ボランティア募集の話もしました。
 で、みなさんに「発達障害のことも勉強してね」とお願いしておき
ました。

 結局のところ、いろな人をつないでいく、それが私のやること
なのだろうな、と思います。


posted by kingstone at 11:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

愛想良い自閉症児

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。


○○さん、こんにちは。

 >いいなあ、KING STONEさんの生徒さんが羨ましい。。。。。

 恥ずかしいです。もっともっとやんなきゃならないこと、いっぱい
あるのに、できていないことが多いから・・・

 >挨拶がきちんとできる、かわいがられる人に育てましょう。。などと、先生に
 >言われると、悲しくなってしまう私なのです。自閉症児はペットじゃ
 >ないよお〜〜。愛想良い自閉症児って私は会ったことないよ〜。

 愛想良い自閉症児ってたぶん私は会ったことがあります。

 でも、それは置いといて、○○さんの言われることよくわかります。
 ようは「その子に合ったやり方」を認めるかどうか、健常な人間の文化
による価値観を押し付けるなよ、ということですね。

 もちろん挨拶はできないよりできた方がいい、でも人それぞれでそういう
のがすっごく苦手な子もいるんだよ、ってことですね。

 また人に従順なだけより、多少「かわいくないじゃん」と思われても、
自分の意思が伝えられる方がいいよな、って思いますね。

 ほんまにねえ・・・


posted by kingstone at 11:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

託児ボランティア

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。


 私の研究会には託児はありませんでした。
 でも保護者の方からの要望は大きいです。なんとかしたいなあ、と思って
来ました。

 また、それとは別に私の周囲で「ボランティアを頼んだのだけど、
あまりの多動にびっくりして、以後音沙汰無し」というようなことが
ありました。

 何とかしたいな、と思いました。

 それやこれやがひっついて、ボランティアグループを立ち上げようと
しています。ゆくゆくは「長期の休みの時に一緒に遊ぶ」みたいなことも
できたら、と思っています。どのくらいのことができるかはわかりません
が・・・

 研究会とはまったく別組織でやろうと思っています。
 協力関係のある別組織ね。

 また近辺で協力してやろう、という方がおられましたら、私に
メールを下さい。知り合いの大学生でそういうのやりたがってる人が
いる、なんて場合も紹介して頂ければありがたいです。

 活動日は定期的なものは第2日曜になります。

ps. でもね、本当のところ、私、こういうのむいてないと思う。
  先日、週刊朝日に「リストラされないための自己診断100」って
 記事が出てました。その中の「チームビルディングのスキル」の中の

「グループ全体で達成感を確認するために「打ち上げ」を開いて祝っている」

これには○がつかない・・・私、人をまとめたり、みんなでわいわい盛り上がる
なんての苦手なのね。
posted by kingstone at 11:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

宇宙人と外国人

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。


 これはニキリンコさんの
自閉連邦在地球領事館附属図書館
が話題のもととなっています。

 自閉症の当事者の方が、はっきりと声を上げられた、という意味で衝撃でした。


○○さん、こんにちは。

 >「うーん、宇宙人みたいなとらえ方って、なんか、かえって良くないような気が
 >する・・。だって、ウルトラマンとかでも、宇宙人って、やっつけなきゃならな
 >い存在じゃない。だから、ヘタにこういう書き方されると、いじめてもいいって
 >とられかねないんじゃないの?せめて、”異文化の外国人”くらいの表現の方が
 >いいんじゃないかなぁ・・。」

 しかしウルトラマンも宇宙人ですねえ・・・
 まあもちろん、怪獣宇宙人にしろウルトラマンにしろ我々の心の中にある
なにものかを形にしたもんであると思っていますが。


 外国人と言えばダダ父通信に出てきた「わがままな外タレ」という比喩が
なーるほど、と思えましたが。

 でもって、「いじめてもいい」と捉えるかどうかって、どんな書き方を
してもそう捉える人は捉えるし、捉えない人は捉えない、ってことだと
思います。

 もちろん、これが小学校の教師が子どもたちの前で自閉症児について
説明する時にはまた別の表現が必要かな。逆にホームページで自閉症の
文化を擁護する場合は、ああいう表現でもいいんじゃないかな。
−−−−−−−−−−−−−−−
追記
 ダダ父通信の「わがままな外タレ」はソースを探しに行きましたが、
まだわかりません。

 ハルヤンネさんは

メールエッセイ・違う★からきた息子

というのを出しておられますね。





posted by kingstone at 10:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

4月26日(月曜日)

 おはようございます。

 今日も起動できました。

 とてもいい天気です。

 今日は夜10時からNHKに西原理恵子さんが出ます。
 うつのひどい時、西原マンガにちょっぴり元気をもらってました。
 本当にひどい時は読めもしませんでしたけど。

 鴨ちゃん(西原さんの夫)はADHDっぽいし、
 西原さんのエピソード(はてしなく算数ができない)からも、
何かお持ちのようです。

posted by kingstone at 08:23| Comment(0) | TrackBack(0) | ネット・パソコン・携帯など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする