知的障害特別支援学校にいた頃。
今日は本当は練習をしない予定でした。
しかし中学部の座席でちょっと変更があって、それがどう影響するかを
見るために練習しました。
が・・・ありゃりゃ、手順書が無い!!
おかしいなあ、ま、手近にあった紙とクリップを使って、写真を
挟み、すぐに作ってしまいました。
で、もうすぐ、というところでF君がウンチの失敗・・・着替えて
いる間に証書渡しのところは終わっていました。
でも後で聞くとC君は、私がいなくても、即製の手順書でしっかりと
できたとか。嬉しいです。
F君は練習できなかった(ナミダ)
そうそう。A君の担任さん。会場に入ったとたん「紙と鉛筆を忘れた」
と取りに行かれました。A君に伝えるためのものです。1年間ずっと
視覚支援の必要性をおりにふれお伝えして来ました。ここに来て
理解(頭だけでなく体を動かせる理解)して頂けたようです。
今までいろんな現実場面でA君の行動を説明したり、音声言語のやりとり
のさいにも視覚支援が必要な場面があることをお伝えしたりしても、
「いや、そんなときばかりではないよ。視覚支援がなくてもちゃんと
話せたりもするよ(つまり視覚支援は必要無い)」と強くでは無いですが、
反論されることも多く、実際にほとんど視覚支援は使って頂けません
でした。
担任さんの名誉のために言っておきますと、担任さんは誠実だし、
暖かいし、勉強もよくされています。(ただし、TEACCHや応用行動分析
などはこれまであまり勉強されていません。TEACCHについては私などが
知るよりももっと以前にTEACCHを知り、場の構造化をしてみたけれど
あまり効果が無かったので勉強しなくなったとおっしゃってました。
また応用行動分析については、以前に講演を聞いた応用行動分析家の
話の中で納得できないところがあったので、これは勉強しないでおこう
と思われたとか)また何かひとつの療法に凝り固まっている、という
こともありません。
それでも実際問題として2学期の後半までは私の言うことに反発
(あるいは不信)を持っておられたと言うことです。
自立課題学習や1対1の課題学習にしても「こんなのでない体を
動かす授業をしよう」と常におっしゃっていました。しかし3学期
になるとプレイルームを確保していたのも忘れて、一生懸命教材を
作り課題学習に取り組んで下さいました。
今までの特別支援学校の文化の中にいらした方に理解して頂くには
時間がかかる。でも、理解はして頂けるのだ、というあたりかな。
今日、夜帰る時に教室を見たら(私は他の仕事をしていて教室
掲示ができなかった)すばらしくわかりやすいスケジュールを
ホワイトボードに描いて下さってました。
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追記
記録を見てて思うのは・・・学校、卒業式にこだわりすぎやわ。
他にすることないんかいな・・・