※このブログに書いていることは、私の関わりある法人の意見ではなく、
 あくまでも、私個人の意見です。

2010年04月30日

卒業式練習でのA君への対応への質問と回答

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。


卒業式の練習5


 「卒業式の練習5」で書いたことについてある方から個人メールで質問を頂
きました。
 いろいろ考えるのに好都合なので、回答ついでに私の独自の自問も含めて、
発言としてアップさせて頂きます。

 式練習で立ち歩いていたA君。
 担任が「だめ。すわりなさい」と言っても効果はありません。
 そこで私が式次第を終わったところまで線を引いて消し、後どれだけあるか
を示し、座っている人の絵を描いて下に「すわります」と書き、そこを指さすと
「すわります」と言ってA君はそれからは座っていました。



Q.1 担任とA君の関係があまりできておらず、KING STONEさんとA君の関係が
できていたからでしょうか。

A.1
 違うと思います。

 私は昨年度、一昨年度の担任でした。その頃はA君、比較的私にぴったり
ついていることが多かったです。今年度の担任さんは彼と関係を作るべく、
少し空いている時に一緒に楽しく遊んだりし、すごくA君といい関係を作って
います。A君はこの担任さんが大好きなようです。

 先日も遠足に行ったおり、A君はどこかへ遊びに行きました。帰る時刻が
せまってきて、私が探しに行ったのですが、どこにもいません。困ったなあ
と思っているとトイレにD君を連れて行っていた担任さんが帰って来ると
A君はどこからともなく現れて担任さんのもとにやって来ました。
 いろんな場面で担任さんを捜してA君が寄って行く様子はよく見られます。
(ただ、担任さんが他のお子さんの交流について行って学校にいない日は
私を捜してやって来ますが・・・担任さんがいる時は見向きもしません(笑))

 つまり関係は担任さんの方が私よりよほどいい関係ができていると思います。



Q.2 KING STONEさんは関係を重視しませんか。

A.2
いいえ。私は最近さぼっていますが、カウンセリングの学習と体験を
重ねて来ました。そしてその中で唯関係論的な信念を持つようになりました。
「関係が全て」つまりたいへん重視しています。

 受容と言い、共感的理解と言います。(わっ、この言葉出しちゃった(笑))
しかしこちらがいくら受容したつもり、共感的理解をしたつもりでも、
相手にそれが伝わらなければ関係なんてできません。

 相手に伝わる手段で相手に伝えないことには関係もできないのです。
 相手に伝わるためには、例えば音声言語での情報処理がどちらかというと
苦手だ、視覚的な情報処理にすぐれている、とかいう本人の特性がわかって
いる必要があります。

 また関係が全てと言っても「俺の言うことを聞いていれば大丈夫。
わけがわからなくてもじっとしていろよ」という関係の利用の仕方は
おかしいと思います。

 また関係ができてから、じゃあ次の段階で何をするのか、という
時に、伝えられるものが、具体的なものが無ければ、そしてそれが
理解できないならば困ると思います。

 この人はいい人だな。信頼できるな。この人の言うことだったらちょっと
聞いてみようかな、という関係ができていたとしても・・・

 相手がわかるように伝えてくれなければ、いくら上記のように思っていても
動きようがありません。

 例えば全盲の方に墨字(普通に書いた字)のプリントをひらひらさせ、
「この通りにやってね」と言って全盲の方が動けるでしょうか。

 聾で口話が取れない方に身ぶりもなしで音声言語だけで「この通りに
やってね」と言って聾の方が動けるでしょうか。

 この例えを自閉症の方に適用した時にむつかしいのは、自閉症の方の場合、
音声言語がどれだけ理解できるか、は一人一人大きく違うし、また一人の方
でも時と場合によって変化するということです。もちろん視覚的なものでも
文字・絵・写真・半具体物・具体物などの理解がどうかも一人一人大きく
違うわけです。

 ただ一般的傾向として優しく暖かい先生であるほど「この子は音声言語が
わかっているのよ」と主張され、視覚支援を使わない傾向が大きいような
気がします。一度いろいろと試して頂けたらいいんですけどね。

 私は視覚支援も音声言語も使うし、音声言語を使ってはいけない、と
主張しているわけでも、自閉症の方は音声言語が理解できない、と主張
しているわけでもないのですが・・・



Q.3 普段からつきあいのある担任さんには甘えが出て、KING STONEさん
  は外部の人だから言うことを聞いた?

A.3
これはあるかもしれません。
 ないかもしれません。
 よくわかりません。

 ただ日頃の傾向としても、例えばA君が一人でパソコン室に行きたい、と
いうことがわかった時、教師の目が行き届かないと判断すれば、私は教室に
戻させます。(もちろん対応できると判断すれば行かせてあげます)担任さ
んは行き届かない場合と思われても行かせてあげます。ひょっとしたらそう
いった積み重ねはあるかもしれません。



Q.4 なぜKING STONEさんは上記のような行動を取ったのですか。

A.4
A君に見通しが立たず、音声言語で指示されてもわかっていない、と感じた
からです。

 あまりA君にとって面白くもなく、よくわかりもしない時間が続くことで
立ち歩かなくてはしかたなくなった。だから、目で見て見通しが立つように
式次第を示し、終わった所を線で消した。そして座っていて欲しい、という
のを伝えるために絵と文字を書き、示したわけです。たぶんそれによって
彼は理解し、少しは我慢しようと座っていてくれたのだと思います。

 A君はある程度音声言語の出るお子さんです。
 担任さんだけでなく、周囲の多くの方から「A君は言葉がわかる」という
ふうに見られます。そしてそれは事実ではあるのです。

 しかし私が見たところ、複雑なやりとりになると音声言語を道具として
使うことはむつかしくなります。
 また、やることがなくて退屈してしまったり、刺激が多すぎて混乱
したりする場面では、音声言語を理解する能力はより低くなってしまい
ます。

 また「見通し」をたてる重要性を言われる教師も数は多いです。しかし
具体的にどうやって見通しを立ててもらうか、についてはルーチン(習慣・
何度もやってわからせる)か音声言語での説明というのがほとんどの方が
これまた多いです。しかし練習は何度目かに入ってある程度ルーチンと
なっていましたし、音声言語でも説明したのですが、彼にはわからなかった
わけです。

 「見通し」をたてるための具体的な技術は私はTEACCHの事例から
学びました。その1つがスケジュールを書き、終わったところから
線で消す、というものです。(注・これは1例であり、人により、
時により、様々な方法があります)

 で、このような視覚的な対応は、普段から私はA君によく用いており、
効果が上がっていると思っています。その体験があるので私は上記の
行動を取ったわけです。私はいつも写真カード・コミュニケーションブック
筆記具各種・メモ用紙、そして今回の場合は拡大した式次第などを
ウェストポーチに入れて持ち歩いています。

 なお担任さんにはこの1年、お伝えしてはいましたが、つい先日くらい
までは私の言う「視覚支援の必要性」に反発ないし不信を抱いておられ
ました。

 また必要性をお感じになられないから視覚支援グッズを持ち歩くという
こともされないままでした。となればもちろん視覚支援を使ってあれこれ
試してみる、ということもできません。確かに視覚支援グッズを持ち歩く
などということは、よほどその必要性を感じていないとめんどくさくて
やっていられません。

 しかし今回のことはかなりショックであったようです。翌日はご自分で
いろいろ用意しておられました。



Q.5 A君は座っていてうれしそうでしたか?

A.5
 おお、すごくいい点の突っ込み。
 そこが重要な点と思います。

 あまりうれしそうでもありませんでした。
 嫌そうでもありませんでしたが。
 特に面白くもない、というあたりの表情かな。

 ただ、それは歩き回っていても同じだと思います。
 別にうれしくもない。
 わけがわからず見通しが持てず、不安なだけだと思います。

 つまり式練習そのものがあんまり面白くもなく、いやなものだ、
ということがあると思います。

 卒業式や練習の形そのものを考えないといけないと思っています。



Q.6 担任さんはどう思い感じたのでしょう。

A.6
これはもちろん担任さんに聞いてみないとわかりません。
 ただ見てわかるのは「眉間にしわを寄せて渋面を作った」ということです。
 これは

 1.そうか、いつもKING STONEさんに言われているけど、こういうこと
  やったのか。用意してなくて悪かったな。
 2.余計なことしやがって

 とかいろいろ考えることができると思いますが、たぶん1.に近いと思い
ます。翌日はかなりの視覚支援の用意をして下さいましたから。

 本番は少し少ない用意になりA君は少しだけ立ち歩いてしまいました。


posted by kingstone at 09:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

4月30日(金曜日)

 おはようございます。

 今日も起動できました。

 とってもいい天気。

 朝、次男が起きてきたので「おはよう」と挨拶すると
「おはよう」と返してくれました。で、次男はパジャマ
のままトイレに入ったのですが、手には携帯。う〜ん、
こんなもんか・・・


posted by kingstone at 08:18| Comment(0) | TrackBack(0) | ネット・パソコン・携帯など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月29日

乳幼児期における発達と課題

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。


療育援助セミナーとトロンイネーブルウエア研究会に参加するために、
横浜に来ました。今日は、朝、療育援助セミナーの方に出て、
昼からトロンのほうに行ったのです。ちょっときついかな、と思った
けど、10:55〜11:40の講演を聞けたのが良かったです。講師の先生に
レジメと話されたことの一部をアップしても良いとの許可を得たので
書かせて頂きます。

 ただしレジメですし、ほんとうは詳しい説明があってこそであること。
 しかし、私が変に聞いたことを書くと、違うことばかり書いてしまい
そうだし、わかりにくいけどレジメだけで我慢して下さい。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     自閉症:乳幼児期における発達と課題

                 吉田友子(よこはま発達クリニック
                      横浜市北部地域療育センター
                      児童精神科)

一.乳幼児期を巡る最大の課題:「診断名」と出会う

 1.「これは、個性?それとも発達の問題?」と迷うことに意味があるのか?
   1)新聞に載った2つの投書

   2)子どもを見つめる2つの視点:どちらも大切

 2.診断名を検討することのメリット
   1)いま何を、どんなふうに援助すべきか(対応の切り口)がみえてくる

   2)子どもからは世の中がどんなふうに見えているのかを推測し子どもの
    苦労や努力をより正確に感じとってあてるうえで役に立つ
    子どものキャパシティーを無視した対応は、援助とは言えない

   3)その子に関係するかもしれない医学情報や社会的情報を集めやすくなる

二.子どもの発達と課題

 1.同じ診断名だからといって、乳幼児期における「一律の課題」などない

 2.それでもあえて「乳幼児期の課題」をあげるとすれば
   1)コミュニケーションの土台作り
    「受信すること」の便利さ・楽しさを知ることは、とても大切

   2)人への信頼・社会への安心をはぐくむための第一歩
    乳幼児期にどんなふうに「社会」と出会うことが適切かは一律ではない

   3)子ども自身の自信と誇りを大切に
    軽度のお子さんが教えてくれることを、重度のお子さんについても
    考えてみる

   4)その子に合った、自助技術の習得
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 その他講演ででてきたすてきな言葉

(特に教師に対して)
「丸のままの個性ととらえて欲しいのです。しかし「丸のままの個性として
 とらえる」というのを自分の不勉強の言い訳ににはしないで欲しい」

「「小学校に入るまでにはこれができなきゃ」というのは、トップダウンでも
 何でもありません」

 ここまで書いて、講師の先生にお見せしたら、私(KING STONE)が解説
してもいいよってことなので、ひょっとしたら解説をつけるかも・・・
−−−−−−−−−−−−−−−
解説になるかどうか・・・

 大きく私のバイアスがかかっています。

 また現場にいらした方やその他のみなさんのフォローがあれば嬉しい
です。

 >一.乳幼児期を巡る最大の課題:「診断名」と出会う
 >
 > 1.「これは、個性?それとも発達の問題?」と迷うことに意味があるのか?
 >   1)新聞に載った2つの投書
 >
 >   2)子どもを見つめる2つの視点:どちらも大切

 これはわかりますよね>ALL
 どっちの視点も大事だ、ってことです。でただし

 >(特に教師に対して)
 >「丸のままの個性ととらえて欲しいのです。しかし「丸のままの個性として
 > とらえる」というのを自分の不勉強の言い訳ににはしないで欲しい」

 ってことです。でもこう書くと、吉田さんってめちゃ怖い方みたいな
印象をもたれるかもしれませんが、そばにいてもらうだけで癒されそうな
(この言葉、嫌いな方もおられるでしょうが)方でした。臨床家として
大事なことやろな。

 > 2.診断名を検討することのメリット
 >   1)いま何を、どんなふうに援助すべきか(対応の切り口)がみえてくる

 これ、いつもこの会議室でもいわれてることですよね。
 逆に言えば、どう対応したらいいか無しの診断はほとんど無意味。
おーーっとお・・・レジメの書き忘れ発見

「「プランニングなき評価」は無意味」が抜けてました。

 それから例えば2歳のお子さんがいたとします。確定診断は無理な場合も
ありますよね。その場合でも「今、こんな特徴があるからこうして(対応
して)いけば」ということは言えるはず、もちろん状態が変わること可能性
も含めて伝えていく、なんて話も。

 で、診断を受け入れることと、使いこなすことは別、ということも
おしゃっていました。うーーん・・どういう文脈だったかな。
使いこなせたらいいね、という話だったと思いますが。

 たとえば他人(教師とか)に診断名を伝え、だからこうして下さい
というふうに使えるよね、とか。

 それから、「診断は子ども自身の役に立つためにある」

 >   2)子どもからは世の中がどんなふうに見えているのかを推測し子どもの
 >    苦労や努力をより正確に感じとってあてるうえで役に立つ

 どんなふうに見えているか、というのでめちゃめちゃ面白い例をあげて
はりました。

 「ただいま」と帰った時配偶者さんの顔がいつもの顔じゃなくて、
好みのタレントだったとしたら・・・これはホラーだ・・・めちゃ
不安になるに違いない。(私が帰ったら嫁さんが内田有紀・・ラッキー
と思うかもしれないけど、納得するには時間がかかるな、きっと)

 物をきちんと並べないと気がすまない、というお子さんにとっては
並んでいないと同じような不安があるかも・・・もちろんこれは一例
ですが、その他いろいろ相手を理解する(しようとする)助けになる。

 すげえ納得。

 >    子どものキャパシティーを無視した対応は、援助とは言えない

 将来の楽しみのために今苦しみを我慢しなさい、ではなく
 将来も今も安心して暮らせることが大事。

 よーわかります。私も以前に「私の大失敗」で書いた通り、
つい子どもを追い込みすぎたりするところあるもんなあ。

 >   3)その子に関係するかもしれない医学情報や社会的情報を集めやすくなる

 これはよくわかりますね。
 自閉症という診断がでなければ自閉症協会に入ろうとすらしない
だろうし。(これは先生は言ってなかったと思う。私が勝手に思って
いる)

 >二.子どもの発達と課題
 >
 > 1.同じ診断名だからといって、乳幼児期における「一律の課題」などない

 そうなんですよね。

 > 2.それでもあえて「乳幼児期の課題」をあげるとすれば
 >   1)コミュニケーションの土台作り
 >    「受信すること」の便利さ・楽しさを知ることは、とても大切

 相手がそのお子さんに何かを伝えようとしていることが分かる、もちろん
内容もわかりそれが楽しいと思える、ってことですね。
受容性コミュニケーションが大事だよ、ってこと。そらそれがわからないと
始まらないですね。

 >   2)人への信頼・社会への安心をはぐくむための第一歩
 >    乳幼児期にどんなふうに「社会」と出会うことが適切かは一律ではない

 ここでは、どんな例を出されたか覚えていない。

 >   3)子ども自身の自信と誇りを大切に
 >    軽度のお子さんが教えてくれることを、重度のお子さんについても
 >    考えてみる

 これもね、面白い例を出してはりました。私の例で書いてみます。
 私も若干難聴です。これがわからない時、聞き間違えて他人からは
笑われたり、怒られたりで、結構悩みました。何でだろうって思って。

 で就職のさいの健康診断で難聴とわかりお医者様から「日常生活で
不便なことないですか?」と不思議そうに聞かれた時、胸のつかえが
すーっと下りました。

 わかれば、対処できます。まず周囲に知らせて大きな声でしゃべって
もらう。バイブレーション機能のついた携帯を使うetc.

あり?これじゃ診断の大切さの話になるか・・・

 まあ私も人の顔が覚えにくかったりする。これはもちろん診断名が
つかないほどの軽いものであることは間違いない。でもこれもきちん
と能力の障害と見て対処する(例えば手帳に名前と写真を貼っておく)
ことで困らなくなる。

 軽度の人においても。いわんや重度の人においておや。

 >   4)その子に合った、自助技術の習得

 これはどんな例を出されたか忘れました。
 でもよくわかる気がします。
 例えば「おしっこに行きたい」をどう伝えるか、とかとちゃうかな。


 >「「小学校に入るまでにはこれができなきゃ」というのは、トップダウンでも
 > 何でもありません」

 こんな話題、先日もありましたよね。
 「幼稚園に入るにはこれくらいできなきゃ」っての。

 あの時も疑問に思ってたのです。「これくらいできなきゃ」ってのは、
「できなきゃだめ」の発想ですよね。本当にそうでしょうか。

 今そのお子さんにできていることを組み合わせる。またまったくできない
ことは「できない」で生活できていく方法を考える、それが大事じゃないか
なあ。

 トップダウンというのは、まず「これができたらいいな」を考え、
そこから「じゃあ今どうしよう」と考えていく考え方です。一見、
「これくらいできなきゃ」に似ています。でも「じゃあ今どうしよう」
という時、それこそ「できないから泣いてもわめいても苦しんでも
やらせよう」という発想とは違うのですよね。もちろん「できないから
だめ」というのでもない。

 あくまでも今できていることは、これだからそれをうまく組み合わせて
どうしていこう。できかけていることがあるなら、じゃあそれをどうして
「できる」ことにしていこうか、(訓練というような言葉のイメージでは
なく)ということなのだろうと思います。

 それからこれはどこの部分で話をされていたのか・・・
「例えばチックを出しているお子さんがいる。そんな場合ストレスの
軽減をはかるため、援助の段階を上げる(援助の程度を上げ、より
簡単にできるようにする)ようにしてもいいのでは」

 これもそうだよな、と思いました。
−−−−−−−−−−−−−−−
○○さん、こんにちは。

 >滝沢君の例はちょっと受けが少なかったのではと気になさっていました。

 私が上で「私の場合なら内田有紀」として紹介した例ですよね。
 あはは、吉田先生、ウケをねらってはったのかあ(爆笑)

 でもね、私、笑うより「おおお、なるほど」と妙に納得・感心して
しまって笑えなかったんです。みなさんにもそういうところがあった
のじゃないかなあ。

 でね、あそこには書かなかったけど・・・ある日帰ったら配偶者の
顔が好みのタレントの顔に変わっていた、というの、ほんまホラーで
怖いんですが・・・男の場合「ラッキー」に変化するのがより早かったり
して・・(バキッ)

 》 将来の楽しみのために今苦しみを我慢しなさい、ではなく
 》 将来も今も安心して暮らせることが大事。

 >このことは私は一番印象に残りました。わたしも子供を追い込みすぎたことが多
 >くあるように思います。今を大切にしていこうと強く思いました。

 もちろん、その時、そうでしかありえなかったことは
「それでええやん」で、そして今を大切にしたいですね。

 

posted by kingstone at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

卒業文集に載せた文

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。

 卒業文集に載せた言葉です。
−−−−−−−−−−−−−−−
 自信をもって進んで行って下さい


 みんないよいよ卒業ですね。私はみんなと3年間も一緒に勉強
させてもらえました。

 小学部時代のみんなはすごく頑張っていました。また中学部でも、
みんなの力を十分に見せて下さい。

 私からのお願いです。

 自信を持ってしっかりと活動して下さい。そして自尊心を大切に
しましょう。

 これが好き、これは嫌とか、元気です、しんどいですとか。きち
んと伝えられたらいいですね。我慢しないといけないこともあるか
もしれません。でも自分の気持ちを伝えられたらずいぶんいろんな
ことが変わってくると思います。

 おとなになった時にみんなにとって大事なことが2つあるそうです。

 おうちの中で何か役割があること。
 ひとりでできる遊びがあること。

 こういうこともおうちでだけで身につけるのではなく、学校でも身
につけられるといいですね。小学部時代にもあれこれとはやってみま
したが、まだまだ不十分だと思います。ごめんなさい。でも、続けて
中学部でも勉強していって下さい。

 最後に、みんな、そして保護者のみなさん、ありがとうございました。
 本当にありがとうございました。


posted by kingstone at 20:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日は卒業式

 大昔の話です。

 知的障害特別支援学校にいた頃。


 今日は卒業式でした。

 C君、手順書を持って立派に証書を受け取り、預け、着席することが
できました。

 F君、比較的介助を少なくして受け取りに行くことができました。

 A君、今までで一番立派に証書を受け取りました。

 他のお子さんもそれぞれに頑張っていました。

 今日は、思いっきり泣いてもいいよ、と自分に許していました。
 歌を歌っている時にいい波が来ました。
 ワッと泣きかけた時、気管に何かが入ってむせました。
 それで、すっと波が引いちゃった。
 うーーん、おしかった。(笑)

 保護者のみなさんからも暖かい言葉をかけて頂きました。
 またもちろん同僚のみなさんの協力があってこその素敵な卒業式
でした。

 さて、卒業式は終わりじゃない。
 子どもたちも私もまた新しい旅立ちの始まりですね。

posted by kingstone at 20:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 特別支援教育や関わり方など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする