大昔の話です。
知的障害特別支援学校にいた頃。
○○さん、こんにちは。
>昨日のことなんですが、妻と喧嘩してしまいました。(笑)
お二人ともたいへんでしたね。
>ったのです。それを見た妻が、大きな声を張り上げて、なんとしても食べさせ
>ようと叱っていました。子供は、逃げ回る。妻は大声を張り上げて、彼を追い
>かける・・・。
>うんか!いじめているみたいで、かわいそうだから、やめろ!」と私が怒鳴っ
>てしまったんですね。(^_^;
奥様がお子さんを責める。
○○さんが奥様を責める。
言っていることは違うのですが、同じ構図になっていますね。
で実は奥様がお子さんを責めるのは
>幼稚園の先生とか
>小学校の先生から「□□君、また食べ残しましたよ」と言われるのが、彼女
>にとって嫌だそうです。
これってきついことだと思います。
私、知的特別支援学校に異動して何が嫌だと言って給食の時間ほど嫌な
ものはありませんでした。偏食のきつい子に「食べさせないといけない」
そして食べさせなければ、面と向かっては無いとしても本人のいない所では
「あの人は給食もよう食べさせない」という言葉が出てくる環境。しかも
食べさせ方は・・・書きたくありません。
私、2年目に「食べたくない物が出た時に意思表示をしたら残していい
指導をしよう」と学年で提案したら否決されました。一応学年世話係だった
んですが・・・反対理由は「一人一人別の指導をしようとするのか」
「私なら食べさせられます」でした。
そして3年目。新人Aさん、新人Bさんという特別支援教育に関する常識
なんてない新人さんと組めてやっと「うちの学年では残してもいい、と
いう指導をしよう」という取り組みが出来ました。もちろん意思表示の
練習もします。できないお子さんもいますが、本人の意思を確認できる
ようにあの手この手は使います。
この時から、給食の時間は本来の楽しい時間になりました。
なおこの指導(?)を始める時に保護者に「もちろん食べてもらうよう
に努力はしますが、ひょっとしたら給食を食べなくなるかもしれません。
それでもいいでしょうか」と相談をかけました。
ありがたいことにOKを頂きました。
例えばC君の場合、本当にある1日、ほとんど全部残すことがおきました。
しかしその後だんだん普通に食べるようになりました。
今年度の終わりになってパンをほとんど残すようになってしまいました。
保護者は「いいんですよ」と言って下さったのですが、いろいろ試して
みて、これはいいのか悪いのかわからないけど、パンをちぎっておかずの
お皿に入れてあげると全部食べるので、とりあえずそうしています。
私の1年目の体験でもある自閉症のお子さん、給食に出てきたものを
一応は口に入れてみてしかめっつらをして出す、という行動がありました。
これはどんなものかなあ、と試してみてるみたいだったんですね。
ところが無理に口に突っ込むようになってこの「探索行動」は消えました。
たぶん、このお子さんにとっては返ってちゃんと偏食を減らすのに逆効果
になったんじゃないかと思います。
その後、このお子さん、担任も変わり、自分で少し口に入れたらすごく
褒められるという指導でだいぶ食べられるようにはなりました。たぶん
口に突っ込まれるという指導はされなくなったと思います。本当に良かった。
>「もっと、ゆっくり育てたら、えんやん」と私が言っても、妻は聞く耳を持っ
>ていないようです。困ったもんだ・・・。
どう言ったらいいのだろう・・・
「困ったもんだ」と捉えるのではなく、奥様のつらさを理解され、
「つらいよね。しんどいよね」というのは伝えてあげる必要があるかも。
そしてもちろんお子さんも「そのままでいいんだよ」だろうし。
お互い責め合う図式から、お互い「そのままでいいんだよ」に変わって
いけたらいいのにな。
で、学校の先生などは「みんな食べる子、良い子」という図式が
強固にあると思います。それを外さない限り、奥様へのプレッシャーは
消えません。ひょっとしたらそこは○○さんの出番かも。
学校の先生に事情をよく話し、「うちは残してもいい、という方針で
育てていますので、学校でもよろしくお願いします。もちろん、無理に
ならない範囲での工夫はして頂けたらありがたいです」と申し入れて
おくことが大事かな。で母親からより父親からの方が現場へのプレッシャー
は絶対にきついです。(つまり効果的)
本当のところ学校の教師はいいことをしているつもりで口に物を
突っ込むかもしれません。
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△△さん、こんにちは。
> ん?、一人ひとり別の指導をしたら、いかんのですか?
今の私なら「一人ひとり別の指導をしましょう」と言います。
その時は私、そこまで反論をようせんかったです。
お二方とも特別支援教育ン十年の大ベテラン。私は知的障害特別
支援学校2年目のまだ何もよくわからない?人間。
その前後のことを書きたくなりました。
周囲の「教育」というものが私には疑問に思えて仕方なくなって
きていました。そこでたまたまこの年は特殊教育学会が3連休に
重なっていたので、私の考えていることが間違っているのかどうか
見てこようと思っていました。
ちょうど1週間前。給食の時間にある子の嫌いな物が出ました。
すると「私なら食べさせられます」と言った先生は「食べ!」と威嚇、
「一人ひとり別の指導をするのか(したらあかんやろ)」と言った先
生は笑いながら「わしの分もやろか」
私は切れて「私は食べさせることができません!」と怒鳴り、
教室を出て行きました。(あはは情けない)
すぐに教室へ戻り「大きな声を出してすいませんでした」と
詫びを入れました。
そして特殊教育学会へ。
自閉症の分科会の部屋にいつづけました。そして私が願っている
やり方。考えているやり方でも間違いではない、と思えました。
で帰ったら、とりあえず声に出していこう、と思いました。
それで「意思表示したら残してもいい・・・」という提案になった
わけです。簡単に否決されましたけど。孤立無援で。
もう異動するか退職しようと思いました。
この年はずっと考えていましたが、ついに管理職に言いに行きました。
たしかその週末あたりに
「自閉症の子どものクラスルーム in しあわせの村」がありました。
自閉症のお子さんに実際に来て頂き、TEACCHの考えに基づいての指導を
研修する、というものです。
そこで自閉症のお子さんが、それこそ自分自身の選択を大事にされ、
いろいろなわかりやすい環境を整えられた上で、安定し、自立的に行動
している姿を見せて頂きました。涙が出ました。
極端に言えば「これで私も生きていける」と思いました。
そして管理職に「あと1年はがんばってみます」と言いに行きました。
この前後2週間の気持ちの浮き沈みはまるでジェットコースターに
乗っているようでした。
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つけたしです。
> そして3年目。新人Aさん、新人Bさんという障害児教育に関する常識
>なんてない新人さんと組めてやっと「うちの学年では残してもいい、と
>いう指導をしよう」という取り組みが出来ました。もちろん意思表示の
>練習もします。できないお子さんもいますが、本人の意思を確認できる
>ようにあの手この手は使います。
さて、残してもいいんだ、というのを学年ではっきりさせてから、
そしてそれが子どもたちに伝わってから、私は子どもたちに給食を
勧めることができるようになりました。
こういうことってありませんか?
周囲が子どもに威嚇ばかりを使っている時、私は子どもを叱れません
でした。そうでなくなって初めて叱れるようになりました。
「残してもいい」と言うとやりとりせずにほったらかしにする方も
いらっしゃいます。口に突っ込むよりはいいと思っていますが、でも
それもなあ・・・人間同士なんだから何かやりとりがあってもいい
はずだと思います。