どう変わったかを書きたいのですが、先に気になることを書きます。
私は、指導の主流が威嚇と暴力であった学校に異動して、悩んで
どうにかしたいと思ってきたことを書きました。
で、TEACCHに出会ったと書きました。
あの、でも、TEACCHが「威嚇と暴力の代わりになる」わけじゃ
ありません。当たり前のことですが。でもここ大事なとこですから。
その学校に行った当初、あれ?落ち着いた学校だな、と思いました。
私に自閉症に関する知識はありませんでしたけど、ほかの学校の話で、
集会でパニックになるお子さんもいるんだよ、なんてことは聞いてまし
た。
私の行った学校はパニックになるお子さんは見かけなかったし、集会で
ビシッと落ち着いて並んでるように見えたし、そう「秩序が保たれてる」
って印象ね。
後でだんだん、指導の主流は威嚇と暴力なんだ、とわかるようになって
きたわけですが。
あの、ここは強調しておきたいのですが「威嚇と暴力」を使っていた
先生だって、「いい教育をしたい」と思っていたのは確実なのですね。
ただ「何に価値を置いたらいいのか」「どういう方法を使ったらいい
のか」が間違ってただけで。
例えば「集会でビシッと並ぶ」のは、そりゃできたらいいかもしれ
ないけど、まあ別にできなくてもいいじゃん、という価値観があれば、
「威嚇して暴力で、並ばさなければならない」とは思わなくてもいい
かもしれない。
TEACCH的に、スケジュールや視覚支援で、並べたらいいね、
という工夫はするかもしれないけど、別にできなくてもいいやん
くらいの気持ちは必要。決してTEACCH的な取り組みでビシッ
と並べることを目指すのは間違い。
そういや以前書いた
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でも入ったクラスの主任の先生は、集会の時子どもたちが並べなくても、
「いいのよ。叱らないで」と言うような方で、そのおかげで私は1年目を
生き延びることができたような気がします。とても素敵な方でした。
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この先生はたぶん受容的交流療法が好きな先生でした。
でTEACCHは大嫌いね(ニコ)
あっ、もちろん威嚇や暴力も大嫌い。
「まあ、並べなくてもいいじゃん」という価値感を持っておいでの方で、
それを私みたいな新参者に言葉で伝えていて下さって、それで私は救われた
わけですね。
おっと、話があっちこっち飛びましたが。
上に「学校に落ち着いた印象を持った」と書きましたが、その学校の
以前の主流の先生は「威嚇と暴力」ではあったけど、確かに「落ち着き」
の雰囲気は醸し出していたんですね。
もちろん「落ち着き」は大事です。でも方法が間違っている。
そこで方法としてTEACCH的な取り組みをしようというのも
間違い。
TEACCH的な取り組みは、結果としてお子さんが落ち着くし、
落ち着かない取り組みは間違っているんだけど、う〜〜んと・・
そう「無理して」「従わせて」落ち着かせよう、というのとは違う
んですよね。
視覚支援で、絵カードや写真を見せて自閉症の方にわかって頂く、
っていうのを見た時に「無理に指示に従わせる」と感じて嫌がる人
は多数おられます。
実は「わかってもらう」ためにやっているだけで、従わそうと
してるんじゃないんです。
で、当然「わかった」結果「拒否」するのも認める。
ってか、とても大事。
TEACCH的な実践を見て、
「おっ、これはいい従わせる方法だ」として取り入れようと考えるのは
大間違い。